桃の節句!日本人が知らない雛祭りの起源
雛祭る 都はづれや 桃の月
与謝蕪村
まだ肌寒い早春の候。
3月3日の上巳の節句。
桃の木を添える緋色の雛壇、
澄まして並ぶ色鮮やかな雛人形。
遥か千年以上の時を経て現代に受け継がれる
大切な節句の風習。
春を迎えるひな祭りに、華やかな彩りとともに
人は幼い女子たちの健やかなる成長を祈る。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、美しき桃の節句!日本人が知らない雛祭りの起源
をご紹介します。
雛祭りの起源
雛祭りとは?
3月3日のひな祭り。
かつて使われていた古い暦、旧暦において3月3日は
ちょうど桃の花が咲く季節であったことから、
「桃の節句」とも言われています。
(現代においては、3月上旬〜4月中旬ごろ)
そもそも節句とは、季節の節目となる日のことで、
その起源は遥か古代、紀元前の中国で生まれた
陰陽五行説という思想に由来します。
桃の節句である上巳の日、古代中国の人々は
水辺で穢れを清め、桃のお酒を飲む風習がありました。
一本の木にたくさんの実をつけることから
桃は多産や強い生命力の象徴とされ、
実や花、香りには
厄除けや長寿の力が宿るとも信じられていました。
のちに陰陽五行説が奈良時代ごろの日本に伝来すると、
やがて一年のうちの節目節目で、
季節の移ろいと共に出現しやすくなる鬼や病などの厄を
祓い清める風習が根づきはじめます。
三月の初めには、
紙や草木で作った人形(形代)を
なでることで災いや穢れを託し、
川や海に流すということをしていました。
一説に、人形を流すという祓の儀式は
日頃から行う風習として
伝来前から元々存在していたとも言われ、
伝来後、節句として年中行事に取り入れられたのちは
国の重要な祭礼となったとされています。
人形を流す様子は、
のちの平安時代に書かれた日本最古の長編小説、
『源氏物語』にも描かれています。
ひいな遊び
ちょうど同時期、
平安時代の貴族の子女の間では
「ひいな遊び」という人形遊びが流行。
人形に着物を着せたり、飾ったりする
おままごとのような遊びで、
『枕草子』や『源氏物語』などにも登場します。
桃の節句との直接的な関係はありませんでしたが、
時を経て徐々に融合し、
現代にも見る「雛祭り」の形となっていったと
考えられています。
ちなみに、ひな祭りの起源として
一説には「流し雛」と呼ばれる人形を川や海に流す
「雛流し」に由来するとも言われていますが、
発祥時期の明確な記録がなく、真相は定かではありません。
とはいえ雛流しは、人形を撫でて水に流すという点で
原初の形を色濃く残していることが窺えます。
鳥取県など一部地域で
雛流しは現在もなお、毎年の行事として受け継がれています。
雛人形
さて、室町時代以降になると、桃の節句の時期に
雛人形が置かれるようになります。
当初は紙や土でできた簡素な立雛(たちびな)でしたが、
時代とともに段々と精巧なものへと変わっていきました。
記録に残る最古の雛祭り、
江戸時代、1629年3月3日。
第2代将軍・徳川秀忠の娘・和子と
第108代後水尾天皇との間に生まれた
後の明正天皇となる娘、興子内親王のために
盛大に行われました。
この後、雛祭りという風習が大奥へと伝わると、
庶民の間でも大流行し、
公卿になぞらえた男女一対の豪華なものなど
日本各地で様々な雛人形が普及しました。
上品に腰を降ろした座雛(すわりびな)も登場し、
一時は江戸幕府が寸法の制限を設けるほどに
豪華なものが次々と作られました。
なお、ひな祭りが女の子のための行事となったのは
この時代からと言われています。
男の子のための、
端午の節句の普及に伴ってのことでした。
明治時代の中頃になると、
男雛(おびな)と女雛(めびな)が一対の内裏雛が広まり、
様々に種類のあった雛人形は、華やかな公家風の衣裳を纏い
写実的に作られた古今雛(こきんびな)に系統が統一されていきます。
大正時代末期には、京の御所を模した
御殿を中心にして人形を配置する「御殿飾り」、
昭和時代の半ばには人形が大きくなり
幅を取る御殿の代わりに屏風を置いた「屏風段飾り」が登場。
こうして様々に変化しながら、
ひな祭りは現在の形に至ったのです。
雛祭りの行事
古く日本の宮中で行われてきた、大切な年中行事。
中でも陰陽五行説において縁起が良いとされる
奇数の数字が並ぶ”五節句”は、
特別重要なものとされていました。
正月7日の人日(じんじつ)。
3月3日の上巳(じょうし)。
5月5日の端午(たんご)。
7月7日の七夕。
9月9日の重陽(ちょうよう)。
ひな祭りは、この上巳の節句にあたります。
季節の変わり目、
鬼や妖怪、病の現れやすくなる節句の日に
穢れを払い、供物を供え、
節句料理で鋭気を養い、無病息災を祈る。
この一連の儀式には、
それぞれに決まった供え物が必要です。
本来、節に供えると書く「節供」の日。
雛人形と、桃の節句の供物に込められた意味を
ご紹介しましょう。
雛飾り
天皇の住む御殿・内裏を模している雛飾り。
3段飾り・5段飾り・7段飾りのいずれかであることが多く、
緋色の赤は厄除けの意味があります。
人形の並べ方は地域や時代により様々ですが、
主に次のような配置となっています。
1段目:男雛・女雛
一段目には「男雛と女雛」。
お殿さまとお姫さま、天皇と皇后のお姿です。
2段目:官女
二段目には「三人官女(さんにんかんじょ)」。
それぞれの手には、
酒器の「提子(ひさげ)」に
供物台の「三方(さんぽう)」、
酒を注ぐ「長柄銚子(ながえちょうし)」。
皇后の住む後宮に使える三人の女官です。
3段目:五人囃子
三段目には「五人囃子」。
太鼓・大鼓(おおかわ)・小鼓・
笛・謡(うたい)で囃し立てる
能楽を奏でる少年たち。
五楽人の場合には、
彼らは雅楽を奏でる成人男性であり、
楽器から並べ方まで異なります。
4段目:随身
四段目には「随身(ずいじん)」。
お内裏さまを護衛する、左大臣と右大臣です。
お内裏さまとは、ひな祭りの童謡においては
「お殿さま」の意味で歌われていますが、
本来は男雛と女雛、両者を表せる言葉です。
5段目:仕丁
五段目には「仕丁(しちょう)」。
宮廷の雑務をこなす世話係です。
そして六・七段目には
上級武家の婚礼道具を模した「嫁入り道具」や
「御輿入れ道具(おこしいれどうぐ)」などが置かれます。
菱餅
ひな祭りの供え物、菱餅。
古くは邪気を払うとされるよもぎを使った草餅、
また大元である古代中国においては
母子の健康を願って、母子草(ははこぐさ)で作った餅を
食べていました。
菱餅の原料である菱とは、池や沼地に自生する植物で、
繁殖力が高いことから子孫繁栄の象徴とされています。
桃色は“桃の花”を、白は“純白の雪”を、
緑は“新緑”を意味し、
冬の終わりと春の訪れの情景を表しています。
雛あられ
雛あられ。
菱餅と同様、桃色・白・緑の三色と、
あるいはそこに黄色を加えて、
四季と見立てる四色からなります。
一年を通しての健康を願うという意味です。
白酒
白酒(しろざけ)。
元来は桃の花びらを浮かべた桃花酒が飲まれていました。
古代日本や中国において
神秘的な力を秘めると信じられた桃の木。
清めの酒と共に得ることで、無病息災を願いました。
ちらし寿司
ちらし寿司。
見栄えの良い食材と
縁起の良い山の幸、海の幸を
ふんだんに混ぜ込んで、
成長しても食べるものに困らないように
という願いが込められています。
はまぐりのお吸い物
はまぐりのお吸い物。
一対になっている相手以外とは貝殻の形が合わないことから
はまぐりは「夫婦和合」の象徴とされ、
平安時代、多数の貝殻の中から一対を見つける
神経衰弱のような「貝合わせ」の遊びが楽しまれていました。
はまぐりのように、
「一人の人と生涯連れ添えるように」
人々は子供の幼いうちから将来の幸せを願い、
季節の節目を祝ったのでした。
きょうはたのしいひな祭り。
せっかく飾った雛人形、
綺麗だからもう少しと、長く飾っていてはいけません。
人形は、いわば祓えの儀式の呪具。
娘の災厄を代わりに追った雛人形を
いつまでも飾っていては、厄払いになりません。
身を清めて、新しい季節を迎えに行きましょう。
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鞍馬山の鬼神!日本人が知らない節分の起源については
こちらの記事でご紹介していますので
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