穢れなき世界と十種の快楽!日本の極楽浄土!
極楽浄土はどこにあるのか?
浄土。
それは、一切の苦しみから完全に解放された世界。
仏や菩薩が住む、穢れのない清浄国土。
仏の数だけ存在する浄土の地にて、
清らかなる精神は十種の快楽を得る。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、穢れなき世界と十種の快楽!日本の極楽浄土
をご紹介しましょう。
日本の仏教の歴史
極楽浄土、奈落の地獄。
日本人にも馴染みのある死後の概念を教え伝える仏教。
その誕生は、紀元前5、6世紀ごろまで遡ります。
インドの釈迦、ゴータマ・シッダールタによって開かれ、
日本に伝来したのはそこから1000年以上も経った
6世紀半ばのことでした。
長い歴史の中で、仏教は大きく二つに分かれます。
戒律を厳格に守り、個人の悟りを目指す
伝統的な「上座部仏教」。
対して、釈迦の教えを大衆に広めながら
全ての存在の救済を目指す新しい流派「大乗仏教」。
日本では、後者の「大乗仏教」が普及しました。
平安時代になると、貴族の間で
極楽浄土への導きを願う
浄土信仰(大乗仏教の一派)が広まります。
「阿弥陀如来の救いを信じ、念仏を唱えれば、
死後、仏の住む極楽浄土に往生することができる」
天変地異による飢饉や
権力者同士の争いが起こった不安定な時代。
人々は死後の世界での安寧を祈り、
やがては庶民の間でも広く信仰されるようになりました。
985年、天台宗の僧侶・源信によって記された仏教書
『往生要集』。
そこには、インドの仏典に描かれた地獄や極楽の様子、
そして極楽に行くための具体的な方法などが説かれています。
仏の住む国土、極楽浄土とは、
どのような場所なのでしょう。
仏の住む「浄土」
六道輪廻
生きとし生けるものが苦しみ迷う六つの世界、六道。
罪人の魂が彷徨う、地獄道。
鬼として飢えに苦しむ、餓鬼道。
虫や動物として生きる、畜生道。
絶えず戦いで血を流す、修羅道。
人として四苦八苦する、人間道。
そして、快楽に満ちた天人の世界、天道。
とくべつ善良な魂が至れる天道でも
なお苦しみの中にあり、
一切の苦しみがない極楽浄土とは異なります。
天人にも寿命があり、死の苦しみからは逃れられません。
死期が近づけば、
天人の身体は汚れて輝きを失い(天人五衰)、
その苦しみは地獄の16倍を超えると言われます。
(『正法念処経』)
生き物の魂は生と死を繰り返しながら、
この苦しみの六道輪廻を彷徨いつづけます。
そうしていつしか魂が浄化した時、
輪廻から抜け出して、苦しみから解き放たれるのです。
すべての魂が目指す場所。
それが仏の世界、浄土なのです。
浄土の種類
では、極楽浄土は、一体どんな場所にあるのでしょう?
実は、浄土は一つではなく
仏の数だけ存在するとされています。
日本において主流の大乗仏教が発展してゆく過程で、
様々な仏と浄土が生まれました。
大乗仏教で認められている十方諸仏とは、
あらゆるすべての世界に
無数に存在する仏のことを意味します。
東・西・南・北・上・下・
四維(北西・南西・南東・北東。しい)の十方、
遍く方角にいる仏には、それぞれに一つずつの
世界、そして浄土があります。
阿弥陀如来の西方極楽浄土。
薬師如来の東方浄瑠璃浄土。
阿閦如来の東方妙喜浄土など・・・
中でもどの浄土が優れているかは
宗派によって異なり、たとえば浄土教においては
西方極楽浄土が最も優れ、往きやすいとされます。
極楽浄土の様相
極楽浄土の様子は、様々な書物が伝えています。
その内容とは、主にはこういったものです。
極楽浄土は、この世(娑婆世界)の遥か彼方、
十万億の仏国土を過ぎた西の方角にある。
そこは限りなく広くて、果てがなく、
地下や地上、虚空の荘厳が
微を極め、妙を極めている。
金・銀・瑠璃・玻璃(はり)・珊瑚・
瑪瑙(めのう)・硨磲(しゃこ)。
これら七つの宝でできた樹々、七重宝樹が生え、
蓮池や宝楼、宝閣なども、
みな金銀珠玉が散りばめられて
美しい限りである。
衣服や食事は人々の意のままに得ることができ、
寒くも暑くもなく、気候は安定し、
たいへん住み心地が良い。
迦陵頻伽や共命鳥といった
美しい鳥たちが
いつも甘美な鳴き声で尊い教えを説いている。
そこに苦しみは一切なく、安楽に満ちている。
浄土十楽
穢れや煩悩から離れた世界、極楽浄土。
そこに往生した者は、十楽と呼ばれる
十種の精神的な快楽を得ることができると伝わります。
遥か一千年以上前に書かれた仏教書「往生要集」に記された
浄土の十楽をご紹介しましょう。
第一:聖衆来迎の楽
第一の快楽は、聖衆来迎の楽(しょうじゅらいごう)。
悪い行いをした者の命が尽きる時、
発熱し、苦しみが多い一方で、
善い行いをした者の死は
穏やかで、苦しみがないとされます。
中でも長年、念仏の功徳を積んだ者は
死に際に大きな喜びが湧いてくるといいます。
阿弥陀如来たちが迎えに来て極楽浄土へと導かれる喜び、
それが聖衆来迎の楽です。
浄土に至る清らかな魂は、輪廻を脱して仏に成り、
次に目を開けた時、そこは蓮華のつぼみの中。
蓮の台(はすのうてな)に座った仏が、
忽然と生まれるのです。
第二:蓮華初開の楽
第二の快楽は、蓮華初開の楽(れんげしょかい)。
極楽浄土で新たに生まれた仏は、つぼみの中。
蓮華が初めて花開く時、
仏は大きな喜びを感じます。
その快楽は、聖衆来迎の楽の百千倍。
例えれば、盲目の者が初めて眼を開いた時のようであり、
また低い身分の者が突然王宮に入ったようであるとも伝わります。
新たな仏の身体はすでに最上質の黄金に輝き、
美しい衣や冠を身に纏っています。
こうした極楽浄土の景色は、心の清らかな者だけが
見ることができるとされています。
第三:身相神通の楽
第三の快楽は、身相神通の楽(しんそうじんずう)。
仏の姿は、32の特徴を得て(三十二相)、
この世に比べるものがないほど端正なものになるといいます。
同時に仏は、五つの神通力を得ます。
全てを見通す天眼通(てんげんつう)、
全てを聞く天耳通(てんにつう)、
自他の前世を知る宿命通(しゅくみょうつう)、
心を読む他心通(たしんつう)、
どこへでも瞬時に移動する神足通(じんそくつう)。
容姿と力を得た仏は、喜びに満ち溢れるのです。
第四:五妙境界の楽
第四の快楽は、五妙境界の楽(ごみょうきょうがい)。
極楽浄土では、五感で感じる全てのものが
この上なく素晴らしく感じるようになるといいます。
見るもの、聞くもの、香るもの、味わうもの、触れるもの。
何もかもが極上に美しく、仏の心はさらに満たされます。
第五:快楽無退の楽
第五の快楽は、快楽無退の楽(けらくむたい)。
喜びの続く極楽浄土では、
一切の苦しみが存在しないとされています。
快楽が途絶えない喜び。
憎い者との衝突も、愛する者との別れも、
飢えも、病もありません。
第六:引接結縁の楽
第六の快楽は、引接結縁の楽(いんじょうけちえん)。
極楽浄土で仏となったことで
優れた知恵と神通力を得た、清らかな魂。
生前に縁のあった、かつての恩人や知り合いを
心のままに導き救えることに、
仏は大きな喜びを感じます。
第七:聖衆俱会の楽
第七の快楽は、聖衆俱会の楽(しょうじゅくえ)。
生前、念仏に励んだ善良なる魂。
死後、仏として極楽浄土に生まれたことで
多くの優れた菩薩たちに出会えた
その喜びは計り知れません。
第八:見仏聞法の楽
第八の快楽は、見仏聞法の楽(けんぶつもんぼう)。
同様に、浄土に住む仏たちは
常に阿弥陀仏を見てその説法を聞けることに
喜びを感じています。
第九:随心供仏の楽
第九の快楽は、随心供仏の楽(ずいしんくぶつ)。
極楽浄土に住む千億万もの仏たちは
仲間と共に空を飛び、数限りない諸仏のもとを訪れます。
阿弥陀仏や十方の諸仏を心のままに供養できることは、
仏たちにとってこの上ない喜びです。
第十:増進仏道の楽
第十の快楽は、増進仏道の楽(ぞうしんぶつどう)。
生きとし生けるものの難儀は、
苦しみへの苦悩、楽しみへの執着。
たくさんの煩悩が邪魔をする仏道も、
極楽浄土の環境下では道を逸れることなくいられます。
仏の慈悲の力と、限りない命。
仏たちは困難なく、
いつしか悟りを開くことができるのです。
極楽浄土への行き方
極楽浄土で味わえる、十の喜び。
誰もが願う、死後の安寧の世界。
いつか浄土に行きたい者は、
ただひたすら阿弥陀仏に念じることと
浄土宗の開祖・法然は説きます。
阿弥陀仏の本願を固く信じ、
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。
そうすれば、平凡な者や愚かな者でも、
きっと浄土へ往生できる、と。
反対に、念仏も怠って、罪ばかりを重ねていると
死後になってツケが回ってくるといいます。
待ち受けるのは2つの地獄。
落ちた先は灼熱の地獄か、極寒の地獄か?
血の気が凍る奈落の底!日本の八寒地獄については
こちらの記事でご紹介していますので
気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね!