【前編】洪水伝説は事実だった!?ノアの方舟伝説の真相!
大量の雨は、
四十日四十夜 降り続けた。
やがて洪水は地上を覆い尽くし、
生きとし生けるものすべてを
滅亡に追いやった。
巨大な方舟に乗り込んだ
ノアとその家族、
そして、ひとつがいの動物たちを除いて・・・
旧約聖書に記された “ノアの方舟伝説”。
それはあくまで神話の物語であり、
いわば創造されたお話であると思われていました。
19世紀、古代図書館の遺跡から
とある粘土板が発見されるまでは。
旧約聖書が書かれるよりも
遥か昔の時代につくられたと見られる、
古代遺産。
粘土板には、
不思議な文字が刻まれていました。
その文字が示す内容がまさか、
ノアの方舟伝説と驚くほど一致するなどと
一体、誰が予測できたでしょう。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、ノアの方舟の真相、
古代粘土板に刻まれた洪水伝説についてご紹介します。
ノアの方舟の物語
謎の粘土板の解明にあたって、
まずはこのお話の中心、
ノアの方舟伝説をご紹介しましょう。
『旧約聖書 創世記』導入部分に含まれる
6章〜9章にかけて綴られた物語。
これは神が天地を創造して
しばらく経った頃の出来事です。
神は、自ら創造した人間が
地上に増え続けたことで
悪徳が蔓延った様子を見て、
大変心を痛め、後悔しました。
人類の始祖アダムとイヴが神に背いて
林檎を食べたその日から、
人間は神と共にあろうとする心を忘れて
罪を重ね続けていたのです。
そしてとうとう、神は
地上から全てを拭い去ることを
決めました。
しかし、乱れ切った地上にも唯一
正しい行いをする者がいました。
それは、アダムの10代目の子孫
ノアでした。
歳は600歳。
純真無垢な正直者で、信仰心が厚く、
それゆえ神に愛されていました。
神はノアに告げました。
「私はすべての人を地上から
絶やすことを決心しました。
あなたは、ゴフェルの木で
長さ135m、幅22.5m、高さ13.5m、
側面に戸口をつけた
3階建ての大きな方舟を作りなさい。
その中に、あなたとあなたの家族、
そして、地上の生き物をひとつがいずつ
入れるのです。
七日後、私は四十日四十夜、
地上に雨を降らせ、
私が創った生きとし生けるものすべてを
この地から滅ぼすでしょう。
善良なあなたたちは十分な食料を蓄えて
方舟に乗り、生き延びるのです。」
こうしてノアは、七日後の大洪水に向け
言われた通りの大きな方舟を
せっせと作り始めました。
ところが、その様子を見た人々はこぞって
ノアの頭がおかしくなったと言って嘲笑います。
なぜなら、空は雨雲の一つもない晴天で、
洪水などは到底起こる気配もなく、
そもそも、周辺には船を浮かべる海すらなかったからです。
それでもノアは神に従い、
舟がようやく完成すると
ノアの妻と三人の息子夫婦の合わせて8人、
そして動物や鳥などあらゆる生き物たちを
ひとつがいずつ、方舟に乗せました。
そして運命の七日目。
澄み渡った空に突然、雷鳴が鳴り響くと、
途端に雨が滝のように降り出しました。
神のお告げの通り、
四十日四十夜降り注いだ大量の雨は
大地や山を覆い尽くし、
方舟に乗ったノアたちを除く
すべての地上の生き物たちは
大洪水にのまれてしまったのでした。
水は150日もの間、地上を覆い、
一面大海と成り果てた世界を
ノアの方舟だけが漂います。
やがて方舟は
アララト山の上に漂着しました。
四十日がたった後、
ノアが窓を開けてみると
外はすっかり晴れて、
空には太陽が輝いていました。
そこでノアは、
地上の様子を見てくるようにと
一羽の鳩を外に放ちます。
しばらくすると、
鳩は水に覆われた地上に
休む場所がなかったため、
方舟に帰ってきました。
七日後、もう一度鳩を放つと、
今度はオリーブの枝を咥えて帰ってきました。
さらに七日後に放った鳩は、
帰ってくることはありませんでした。
こうして、地上から水が引いたことを知ったノアたちは、方舟の外へ出て、
再び大地に足をつけたのです。
神は、ノアとその家族を祝福し、
今後は二度とこのような大洪水を起こさないと約束しました。
そして、約束の証として
空に虹をかけたのでした。
ノアの方舟は史実だった?次々と見つかる洪水伝説
<ギルガメシュ叙事詩の発見/ウトナピシュティムの洪水伝説>
この“ノアの方舟の物語”は
長らく神話の物語だと思われていました。
ところがある時、
その認識を覆す衝撃的な発見が
世界を震撼させるのです。
1872年。
イギリスの考古学者ジョージ・スミスは、
20年ほど前に発見された
ある粘土板の解読を行なっていました。
それは、かつて
古代メソポタミア北部に位置した
アッシリア帝国の首都ニネヴェにある
アッシュルバニパル王の図書館跡から
見つかったものでした。
紀元前7世紀ごろに設立された
アッシュルバニパル図書館は、
古代の神話や王室の記録、年代記、契約書といった
帝国の貴重な資料が保管されていた場所です。
粘土板には楔形文字が刻まれ、
スミス氏は何か重要な意味を期待して
解読に取り掛かりました。
すると、その内容は
全く予想だにしないものでした。
粘土板には、
ノアの箱舟の物語と非常によく似た
洪水の記録が記されていたのです。
この粘土板は、
ノアの方舟の物語が書かれたよりも
数百年〜千年も昔に書かれたもので、
年代的に大きな開きがあるために
ここで類似した内容が見つかるなどとは
思いもよらなかったでしょう。
粘土板は、半分に割れ、
あちらこちらの文字が欠損していました。
そのため、スミス氏は
ノアの方舟の物語に関連のありそうな
約80枚の粘土板をつなぎ合わせて
解読を行いました。
さらに、欠損部分の粘土板を自ら発掘し、
ついにほぼすべての解明に至ったのです。
粘土板に書かれていたのは、
世界最古の文学作品でした。
世界最古の文明を築いたシュメールで
紀元前2600年ごろ、
都市国家ウルクを治めていた
ギルガメッシュ王の英雄譚です。
『ギルガメッシュ叙事詩』と名付けられた
その物語には、このようなお話が登場します。
英雄ギルガメッシュは、
数々の戦を共に戦った
親友エンキドゥの死にひどく落ち込み、
また、自らの死に対して恐怖し、
永遠の命を求める旅に出た。
そして、ギルガメッシュは旅先で、
神より永遠の命を授かった人間・
ウトナピシュティムに出会った。
不死の肉体を追い求めるギルガメッシュは
ウトナピシュティムに問うた。
「どうすれば不死の命を見出すことができるのか?」
ウトナピシュティムは答えた。
「私は、かつて
神が堕落した人類を滅ぼそうとした時、
神に選ばれ、妻と共に生き残ったのだ」と。
こうして彼は、ノアと同様、
神に導かれ方舟を作ったというのです。
物語は神話と沿うように続きます。
その後、ウトナピシュティムは
方舟に乗り込み、大洪水の後、
ニシルの山へと漂着。
家族や動物たちとともに
大洪水を生き延び、
その功績として、不死の体を
神より賜るのです。
<ニップル遺跡の粘土板の発見/ジウスドラの洪水伝説>
ノアの箱舟伝説に類似する遺物の発見は
ギルガメッシュ叙事詩だけにとどまりません。
アメリカ・ペンシルベニア大学の
考古学者たちが、南メソポタミアの
ニップル遺跡で、新たに粘土板を発見したのです。
粘土板は、古代都市バビロニアを
かつてハンムラビ王が統一した時代、
紀元前1792年〜1750年頃に書かれたものでした。
先程のギルガメッシュ叙事詩の粘土板とは
異なる言語で書かれ、
また、作られた時代も数百年ほど開きがありました。
粘土板の大部分は破損していましたが、
研究者たちの尽力により解読がなされ、
結果、ここにも洪水物語が描かれていることが判明します。
新たな粘土板に描かれる洪水伝説とは
このようなものです。
古代シュメールの都市シュルッパクの王・ジウスドラは、
世界を創造した神・エンキより
天と地の神々が大洪水を起こし
人類を滅亡させることを決定した
というお告げを受けた。
神々の中には、人類を滅ぼすことに
疑問を感じる者もいたが、
一度神々の会議で決まってしまったことは
取り消すことができなかった。
不憫に思ったエンキは
ジウスドラに大きな船を作るよう命じ、
ジウスドラはエンキの言う通り、船を作った。
七日七晩続いた洪水の後、
ジウスドラは空の神アンと
最高神エンリルに祈りを捧げ、
神より永遠の命を与えられた。
この二つの歴史的な発見から、
『旧約聖書 創世記』に伝わる
ノアの方舟伝説は、遥か昔、
シュメールの時代に実際に起きた大洪水が
元となっているのではないか?
という仮説が浮上しました。
その仮説は、
徐々に真相の核心へと迫ります。
研究が進むにつれ、
実際に古代メソポタミア地方で起きたとされる大洪水、
さらにはノアの方舟と思わしき痕跡まで
発見されるのです。
幻想的な神話の世界。
一体どこまでが現実なのでしょう。
ノアの方舟伝説の真相、
世界各地に伝わる大洪水の伝説と
アララト山に漂着した方舟の行方
については、続く中編と後編でご紹介します。
ぜひ、ご覧ください。
→ 『【中編】世界各地に伝わる大洪水伝説!ノアの方舟伝説の真相!』