【中編】世界各地に伝わる大洪水伝説!ノアの方舟伝説の真相!
旧約聖書『創世記』に記された、
ノアの方舟伝説。
メソポタミアの遺跡から発見された
太古の粘土板には、
方舟伝説と非常によく似た洪水物語が
古代文字で刻まれていました。
物語は、神聖な御伽噺か?
それとも、現実に起きた壮大な史実か?
当時を物語る伝説の断片は
世界各地に散らばっていました。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、世界各地に伝わる数々の大洪水伝説とメソポタミアに残る痕跡についてご紹介します。
旧約聖書に記された
ノアの方舟伝説のあらすじと
シュメールの古代粘土板に刻まれた
洪水伝説の数々については、
前編でご紹介しています。
ぜひ先にチェックしてみてくださいね!
→ 『【前編】洪水伝説は事実だった!?ノアの方舟伝説の真相!』
世界各地に残る洪水伝説!
前編でご紹介の通り、
神話の中の創作された物語だと思われていた方舟伝説は、
遥か古代の世界で、実際に起きていた史実である可能性が浮上しました。
事の発端は、ノアの方舟伝説と
非常に良く似た物語が刻まれた粘土板が
メソポタミアの古代遺跡から発見されたこと。
偶然と考えるにはあまりに類似点が多く、
研究者たちは、現実的な洪水の痕跡、
さらには、行方の知れないノアの方舟の探索を始めました。
痕跡の数々を見る前に、
まずはメソポタミアの粘土板以外にも
方舟伝説と類似性の見られる
世界各地の伝承を見てみましょう。
デウカリオンの洪水伝説 / ギリシャ神話
ギリシャ神話に伝わる『デウカリオンの洪水伝説』。
最高神ゼウスは、
堕落しきった人々の様子に怒り、
大洪水によって人類を滅ぼすことを決めます。
ゼウスは南風とともに大雨を降らせ、
海の神ポセイドンは川や海を荒らしました。
大洪水は全ての都市を飲み込みましたが、
その中で唯一生き残ったのが
デウカリオンと彼の妻ピュラーでした。
デウカリオンの父プロメテウスが
ゼウスの思惑を知り、
方舟を作って乗り込むようにと警告していたのです。
二人はパルナッソスの山に漂着し、
地上には再び人類が繁栄することとなりました。
ユミルの血の大洪水 / 北欧神話
北欧神話における伝承では、
神が天地を創造する直前に
洪水が起きています。
神々と巨人の戦争。
まだ何もない世界に初めて生まれた
原初の巨人ユミルは、のちに誕生した
最高神オーディンとその兄弟たちと
対峙し、戦いに敗れます。
ユミルの傷口からは大量の血が流れ出し、
やがてそれは洪水となって、
ユミルの従えた霜の巨人たちを
次々と飲み込みました。
その際、唯一、
巨人ベルゲルミルと彼の妻は
空洞になった木の幹に潜り込んで洪水を生き延び、最初の巨人となったといいます。
マヌと大洪水の物語 / インド神話
インド神話に伝わる人類の始祖、マヌ。
マヌは全ての生き物を滅ぼす
大洪水が起きた際、
かつて助けた魚に導かれ、
船に乗ってヒマラヤの高い場所に漂着します。
マヌを救った魚の真の姿は
最高神の一柱・ヴィシュヌでした。
唯一生き残ったマヌは、水に祈りを捧げ
やがて中から現れた女性と結ばれて、
人類が繁栄したとされています。
他にも、アステカ文明やインカ文明、
マヤ文明などに残る伝説にも、
共通して「洪水と滅亡、そして再生」というテーマが描かれています。
メソポタミア地方で起きた大洪水(洪水堆積層の発見)
では、本題に戻りましょう。
ノアの方舟伝説が
現実に起きたことだとすれば、
その痕跡は残っているのでしょうか?
伝説の舞台、
世界最古と言われる文明を築いた
古代メソポタミアの地は
現在のイラクの一部にあたります。
ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた
非常に広大で肥沃な平野です。
1922年、イギリスの考古学者チャールズ・レオナード・ウーリーによって、
洪水伝説を裏付けるかのような痕跡が発見されました。
ペンシルベニア大学と大英博物館が
共同で発掘隊を結成し、
ウーリーはその指揮を務めていました。
ある時、ユーフラテス川下流の丘で
発掘隊が調査をしていたところ、
なんとそこから無数の住居跡を発見します。
そこはどうやら、聖書に伝わる古代都市
“ウル”であるということがわかり、
さらには16基の王の墓と約2000人分の墓も見つかりました。
王の墓からは
豪華な副葬品が次々と出土。
紀元前2112年〜2004年に栄えたウル第三王朝時代の粘土板も数多く発見され、
これらの粘土板には、ギルガメッシュの洪水物語の元となったであろう記録が刻まれていました。
さらに下へ下へと掘り進めると、
やがて発掘隊は、約3.5mにもなる
厚い粘土層にぶつかります。
粘土層とは、砂粒よりも細かな粒子が
雨や川、海によって流され、堆積してできる層のこと。
ウーリーたちは、
この粘土層こそ遺跡の最下層であり、
かつてウルが街として栄える前は
川の底にあったのだろうと考えました。
ところが予想に反して、
粘土層のさらに下からは、
引き続き 住居跡や土器のかけらなど、
人々の生活の痕跡が見つかったのです。
これはつまり、
ウルの街では過去に大洪水が起き、
一時水の中に沈み、のちに再構築された
ことを意味します。
これはまるで、神話の物語のようです。
調査の結果、この洪水堆積層は
古代メソポタミアが始まった
文明のはじまりの時代、
紀元前3500年ごろだと判明しました。
その後、周辺の古代都市の遺跡でも
洪水が起きたと見られる地層が
次々と発見されることとなります。
古代メソポタミアの気候・環境
さらに、メソポタミア地方の当時の気候や
地理的な要因の研究が進むうちに、
新たな事実も判明しました。
メソポタミア地方は
雨量の極端に少ない、乾燥した大地です。
しかし、西にはユーフラテス川、
東にはティグリス川という大河が南北に流れており、
河の下流には肥沃な土壌が広がっています。
そこにウルなどの都市が栄え、
古代の人々は灌漑を施すことで
農耕を発展させました。
しかし、このように生活に欠かせない
二本の大河は、人々に実りを与えるばかりではありません。
ユーフラテス川は勾配が緩やかで
比較的穏やかな一方、
雨と雪解け水から来ているため
雪解け時期の春先には増水し、
洪水となって人々を襲います。
ティグリス川は勾配が急なため
洪水を起こしやすい暴れ川であり、
雪解け時期には時として大氾濫をもたらしました。
防水壁では氾濫を防ぐことはできず、
前触れもなく押し寄せる洪水は
下流に住む人々を苦しめ、
やがて土壌流出などにより土地は荒廃し、
多くの村が幾度となく消滅しています。
近年の調査では、
メソポタミア周辺の古代遺跡で見つかった
粘土層は、その年代や地層の順序が
若干異なっていることが判明し、
このことから、
メソポタミア一帯を飲み込む大洪水が
同時期に起きたのではなく、局所的に発生していたことがわかりました。
古代の人々は、
抗えない自然災害を神の怒りと捉え、
戒めとして語り継ぎ、それがやがて神話となっていったのでしょうか。
『ノアの方舟伝説』。
その真相について、研究者の中には
このように語る人もいます。
「その昔、地球全土を襲う大洪水が起き、
人類はその記憶を伝承として語り継いだのだ」と。
もしそうであれば、本当にその時期に
ノアと呼ばれた人物が実際に方舟を作り、
大洪水を乗り越えたのでしょうか?
洪水を逃れ、山に漂着したと伝わる方舟。
聖書のアララト。
ギルガメッシュのニシル。
パルナッソス。
ヒマラヤ。
何千年という遥かな時を超えて、
方舟の残骸が発見されたという
いくつかの事例については、
続く後編でご紹介します。
ぜひ、お楽しみに。
→ 『【後編】伝説の山で発見された巨大な方舟の痕跡!?ノアの方舟伝説の真相!』