【前編】海底に消えた幻の都!海賊の楽園ポート・ロイヤルの秘密

17世紀、カリブ海のとある島。

「最も豊かで、最も酷い場所」と呼ばれた
その島には、カリブの海賊たちの楽園が広がっていました。

あらゆる富と欲望の渦巻く、
海賊の都”ポート・ロイヤル“。

かつて栄華を極めたその街も、
今となっては海の底。

運命の1692年6月7日、
街は一瞬にして海に沈んでしまうのです。

こんにちは。えむちゃんです。

今回は、海底に消えた幻の都
海賊の楽園ポート・ロイヤルにまつわる

壮絶な運命の物語をご紹介します。

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海賊(バッカニア)の歴史

スペイン&ポルトガル時代

海底に眠る楽園、ポート・ロイヤル

まずは、この場所が海賊の都として
栄えるようになった経緯を
当時の時代背景とともに見ていきましょう。

遥か時を遡り、1492年。

イタリアの探検家、
クリストファー・コロンブス
スペイン王家の支援のもと、
大西洋の横断を決行しました。

目指すは “スパイスの宝庫” インド。

料理だけでなく、
肉の保存や、流行り病の万能薬、
さらには宗教儀礼において
毒気を祓い清めるものとしても
重宝されていた香辛料は、
その一方で非常に高価なもので、
当時は同じ重さの金と交換されるほどでした。

イスラムの商人によって独占された
香辛料を独自に直接取引するために、
インドへの航路を開拓する。

それが、コロンブスの使命でした。

スペインから西回りで航海し、
やがて一行はカリブ海に浮かぶ
バハマ諸島のグァナハニ島に上陸します。

南北アメリカ大陸の間に位置する
その場所をインドの一部だと信じた
コロンブスは、
一帯の島々を「西インド諸島」とし、

また、初めて上陸したグァナハニ島は
「サン=サルバドル(聖なる救世主)」
と名付けて、新大陸の発見を大いに喜びました。

コロンブスが西インド諸島に到達した
というニュースは、
瞬く間にヨーロッパ諸国を駆け巡りました。

そうして各国は
まだ見ぬ新世界に夢を抱き、
我先に先に利権を得ようと
一斉に海へ乗り出したのです。

世に言う
大航海時代”が幕を開けたこの頃、

最も力を持っていたのは
ポルトガルスペインでした。

ポルトガルが
アフリカ西海岸の進出
インド航路の開拓を成功させると、

対抗するスペインが
アメリカ新大陸に到達

そして、コロンブスが
西インド諸島を発見した2年後の1494年、
両国はトルデシリャス条約を結び、

ヨーロッパ以外の世界を二つに分断する
境界線を設定して
東側をポルトガル、西側をスペインと
支配領域を山分けしたのでした。

さて、コロンブスが新大陸に
初めて上陸した当時。

現地の先住民であったタイノ族、
コロンブス曰く、インディアンの人々は、
初めて見る異邦人をあたたかく迎え入れ、
丁重にもてなしました。

ところがコロンブスは
彼らが平和的であることを良いことに
自分たちにうまく従うよう仕向けるべき
と考え、さらには現地の人々を誘拐して
スペインに連れ帰ってしまいます。

それ以降、西インド諸島には
一攫千金を狙うスペイン人たちが次々と訪れました。

彼らは、世界のどこかにあると言われる
黄金郷エル・ドラドを探し求めて、

南米ペルーで栄えたインカ(1438-1533)や
メキシコに栄えたアステカ(1428-1521)
を侵略しては、その富を強奪したのです。

カリブ海の島々は、
そんな彼らの活動の拠点として
うってつけの場所でした。

カリブ海はスペイン領の島々の
交通の要衝となるだけでなく、
太平洋との最短ルートでもあるのです。

海賊の台頭

スペインがカリブ海での覇権を握り、
周辺の植民地化を進めている真っ只中。

カリブ海では、1520年代頃から
海賊行為が横行するようになります。

植民地支配によって
住んでいた島を追われた人々が海賊となり
カリブ海からヨーロッパへ向かう
スペインの商船などを襲うようになったのです。

真っ当な仕事についたところで
賃金は安く、食べるのに精一杯。

対して、
大金が手に入るチャンスのある海賊は
魅力的な職業でした。

また、スペインの商船や植民地で
略奪を行う海賊は、
スペインの弱体化を狙うイギリスや
フランス、オランダなどの国々にとっても
都合のいい存在でした。

やがてフランスやイギリスが、国家として
他国の船を攻撃・拿捕することを認める
私掠免許を次々と発行し始めると

海賊たちは
国家公認で活動できるようになり、

カリブ海のスペイン植民地を
次々と奪っては
そこを自分たちの拠点としました。

こうして、世界は
海賊たちの黄金時代に突入するのです。

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海賊の楽園“ポート・ロイヤル”

彼ら海賊たちの誇った、
最大にして最上の拠点。

それは、カリブ海に浮かぶ
ジャマイカ島にありました。

10,990㎢という、
およそ東京の5倍にあたる大きな島。

そこにかつて存在した
巨大な港町、ポート・ロイヤル

“地球上で最も堕落した街”と称された
海賊たちの楽園です。

ジャマイカ島は、1494年、
コロンブスが到達した場所の一つで、
1509年以降はスペインの植民地となっていました。

1655年には
イギリスが侵攻して島を占領し、
奴隷貿易を開始します。

このとき、ポート・ロイヤルの街は
築かれたのです。

拠点の拡充に伴い、ポート・ロイヤルには
イギリスの艦隊や各国の商船が出入りするようになりました。

港には、水兵や水夫、商人、
そして多くの奴隷たちが行き交います。

当時もイギリスは
私掠免許を発行していたため、
海軍や商船だけでなく、
多くの海賊船もこの港を利用していました。

海賊たちは、
スペインの船から奪った財宝を
ポート・ロイヤルに持ち込み、
港はいつも様々な品物で溢れかえっていました。

人が集まれば街は栄え、
宿や酒場、宝石店などが次々と建ち、
店は海の男たちで賑わいました。

この結果、街には職業や人種を超え
様々な人が集まり、
金銀財宝や希少な品物が集まったのです。

当時カリブ海を拠点とした海賊は
バッカニア”と呼ばれ、彼らは
略奪した品々をポート・ロイヤルで売り、
そこで得たお金を欲望のままに浪費しました。

やがて街は
一攫千金を狙う者や無法者、
荒くれ者たちが集まる巣窟となり、
そんな彼らを相手に商売をする
女性や商人たちが懐を潤すようになりました。

これが、ポート・ロイヤルが
「地球上で最も豊かで、最も酷い街」
と称された理由。

それでも、海賊たちの楽園は
間違いなく栄華を誇っていました。

しかし、終わりは突然に来るものです。

運命の1692年6月7日。

カリブ海で発生した大地震は
巨大な津波を引き起こし、
街はたった一瞬で壊滅しました。

ジャマイカ、キングストン港の海底には
いまも楽園が眠っています。

のちに海底から発見された懐中時計は
11時43分のまま、かつての悲劇の時を
永遠に示しています。

海賊たちの楽園。

すべては、侵略と略奪からはじまりました。

人を傷つけてまで欲した富。

傷を受け、傷つけ返して奪った富。

楽園は海に沈み、人々は欲に溺れて
ポート・ロイヤルの哀しき運命は
ようやく途絶えたのでした。

さて、楽園の始まりと終わりの物語は
ここで終わりますが、
かつて街が盛えた当時の、栄光のお話もしておきましょう。

楽園に集まる、屈強な荒くれ者。

そんな彼らを束ねる男が一人。

カリブ海の大海賊にして、
イギリスのナイト。

ポート・ロイヤルの英雄、
ヘンリー・モーガン

彼が「裏切りの海賊」と呼ばれるなど、
誰も思いもしなかったでしょう。

海賊の楽園を語る上で欠かせない
伝説の大海賊の豪快な人生と、
ポート・ロイヤルで起きた悲劇については
続く後編でご紹介します。

ぜひお楽しみに。

→ 『【後編】伝説の大海賊ヘンリー・モーガンの壮絶な人生!海賊の楽園ポート・ロイヤルの秘密

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