与那国島の海底遺跡!日本の海底に存在する古代文明の謎!

日本の西の彼方、与那国島の海に眠る海底遺跡

 

高さ約25m、幅約100mにも渡るその巨大な海底遺跡には、

自然が作ったとするにはあまりにも不自然な円形の穴や、

巨大な階段が残っています。

 

1986年の遺跡の発見は、世界中を驚かせました。

 

古代文明が作り出した建造物なのか?

はたまた、自然が偶然生み出した奇跡の産物なのか・・・?

 

こんにちは、えむちゃんです!

今回は、謎に満ちた“与那国島の海底遺跡”をご紹介します。

 

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与那国島の海底遺跡とは?

与那国島の海底遺跡の概要

日本の最西端(さいせいたん)に位置する

周囲27.5キロメートルほどの小さな島・与那国島

 

東京から約2000km、

隣接する台湾から約111kmの距離にある沖縄県の島です。

 

荒々しく波が打ちつける

断崖絶壁に囲まれたこの国境の島は、

かつては渡航すら困難だったことから

渡難(どなん)」とも呼ばれ、

ゆえに独自の文化が育まれました。

 

与那国島の歴史

今から約2万年前、与那国島を含む琉球列島は

中国大陸と陸続きになっていたと考えられています。

 

それが氷河期の終わりに

海面上昇と地殻変動によってその大半が水没しますが、

一部だけが島となって残り、のちに現在の形になったと言われています。

 

海底遺跡の発見

1986年、与那国島の南部に位置する

新川鼻(あらかわばな)の断崖から

約100m沖合の場所で、謎の海底地形が発見されました。

 

実はこの発見より数十年も前から

地元の漁師たちによってたびたびその存在が囁かれていましたが、

1986年に地元のダイバーによって正式に発見されたことから、

世界にその存在が知られるようになったのです。

 

水深30mほどにあるこの海底地形は

ピラミッド状の形をしており、

東西方向に約270m、幅は南北に120m、高さは26m

という大きさです。

 

神殿のメインテラス」と呼ばれる

直角に切り出された垂直や平面の岩が

いくつも積み重なったスポットや、

水路」と呼ばれる約10mにわたる直線の溝、

柱の跡と思われる大きな円形の穴など、

自然物として見るにはあまりに規則的な形状の地形が広がっています。

 

これらの地形はすべて、

約1700万年前に海底に砂岩が堆積してできた

八重山層群(やえやまそうぐん)と呼ばれる

硬い岩の地層が削られて作られたものでした。

 

自然の侵食でできたのか?

それとも、人工的に削られたのか?

 

それを判別することは非常に難しく、

現在でも世界中で多くの議論がなされています。

 

それでは、さらにこの謎に迫るために

古代の海底遺跡であるとする説と

自然地形であるという説、双方の意見をご紹介します。

 

古代の海底遺跡であるという説

 

まずは、この海底地形が

人工的に創られた古代文明の遺跡であるとする説を見ていきましょう。

 

日本の海洋地質学者にして、

琉球大学名誉教授でもある木村政昭教授は

1992年、この海底地形についての研究を開始しました。

 

そして十年以上にわたる調査の結果、

海底地形とその周囲の全体像を明らかにし、

確認できただけでも周辺に5つの海底遺跡が沈んでいることがわかった

と発表したのです。

 

遺跡と認められる4つの条件

そもそも、”人が作った遺跡”であると

認められるための条件とは、なんでしょう。

 

一般的に、

① 過去の人間が残した何かしらの遺物が存在していること

② 周辺に同様のものがあること

③ その形状に対称性がある等、何かしらの規則性があること

④ 目的や意図、文化性があること

この四つの条件を満たせば、遺跡であると判断できます。

 

調査による発見

木村教授の調査では、与那国島の海底地形には

これら四つの条件に当てはまると言える発見がありました。

 

① 過去の人間が残した何かしらの遺物が存在していること

まず、過去の人間が残した何かしらの遺物が存在しているか?

これについては、約1万年〜2千年前ごろに作られた

石器や石版が見つかっています。

 

さらに、その石版が見つかった場所が

遺跡の擁壁とされる石の裏だったことから、

遺跡が形成された時代のものであると推察しています。

 

また、遺跡の表面にはクサビ穴らしき加工の痕が確認されています。

クサビ穴とは、石を割る際に使用する道具を打ち込んだ痕のことです。

 

これらの発見は、

遺跡が人工物であるという主張を後押ししました。

 

② 周辺に同様のものがあること

次に、遺跡周辺がどうなっているかというと、

木村教授の発表の通り、遺跡周辺にはほかにも

5つは遺跡があるとのことで、二つ目の条件も満たしています。

 

例えば、海底遺跡の約2.5km東の陸地には

遺跡と似た加工痕が残る「サンニヌ台」があります。

この場所もやはり、岩が階段のように段々になっています。

 

自然の侵食にできた石を

さらに削り取って整形されたと思われるサンニヌ台は

海底遺跡と関連があると、木村教授は考えます。

 

③ その形状に対称性がある等、何かしらの規則性があること

それでは、三つ目の条件、この遺跡の形状に

何かしらの規則性はあるのでしょうか?

 

遺跡は大きく見れば階段ピラミッド型をしていますが、

かつてマヤ文明が作ったピラミッドのように

正確な左右対称というわけではありません。

 

しかし、要所要所には対称性や平衡性などの

規則性が見られるので、条件を満たすと言えるでしょう。

 

④ 目的や意図、文化性があること

最後の4つ目の条件、

その遺跡に目的や意図、文化性はあるのでしょうか。

 

遺跡を調べると、道路や排水溝、市街地の廃墟、神殿、

モニュメントと思われる構造物が確認されることから

この場所で何かしらの儀式を行っていた可能性があり、

もしそうであれば文化性は十分にあると言えるでしょう。

 

これらのことより、与那国島の海底遺跡は、

考古学的にも人工的な遺跡と言える条件を満たしている

木村教授は断言したのです。

 

与那国島の海底遺跡はいつ頃作られたか?

それでは、与那国島の海底遺跡が古代人の作ったものだとしたら、

一体いつ頃に作られたのでしょうか?

 

琉球大学の調査チームは、その答えを解明すべく、

遺跡に付着したサンゴから炭素年代測定をしました。

その結果、遺跡は約4000〜2400年前に作られたものだと推定されました。

 

その後、調査を進めるうちに、推定年代は変わり、

現在では3000~2000年前に形成されたとする説が唱えられるようになりました。

これは縄文時代の後期にあたります。

 

そしてこの遺跡が水没したのはそれ以降だとされていますが、

約3000年前以降に、陸地が部分的に海底へ水没したことを示す断層は

未だ見つかっておらず、謎のままとなっています。

 

自然地形であるという説

では今度は、この海底地形が

自然にできたものであるとする説を見ていきましょう。

 

古代海底遺跡説への4つの反論

先ほどと同様に、遺跡と判断するための

4つの条件にあてはめます。

 

① 過去の人間が残した何かしらの遺物が存在していること

まず、遺跡とされる石に明確な加工痕が見られないことから

一つ目の条件は満たせていないと言われています。

 

周辺で加工具や削られた後の石なども発見されておらず、

クサビ穴や柱の跡と言われる円形の穴も

甌穴ができるのと同様の原理で説明がつくというのです。

 

甌穴とは、岩盤のくぼみに小さな石や砂粒が入り

それらが水の流れによって岩を削ってできた穴のことです。

 

では、綺麗な直線を描き、まるで加工されたような岩は

どう説明がつくのでしょうか?

 

これについても、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、

それに沿って岩が侵食される「節理」という現象だろうと

主張されています。

 

② 周辺に同様のものがあること

木村教授が、遺跡周辺にも人工的な加工痕が残っていると主張した

サンニヌ台についても、同様の原理で自然が創り出したと推測されています。

 

また、与那国島や周辺の島々には石造文化が見られず

この海底遺跡だけが作られたとするのは

少し説明が難しいとの意見も出ています。

 

 

③ その形状に対称性がある等、何かしらの規則性があること

では、遺跡の形状の規則性についてはどうでしょう。

確かに部分的に見れば、木村教授の主張の通り

対称性などの規則性は見られました。

 

しかしながら、全体の構成はあまりに不規則で、

対称構造であると言うには難しく、

階段も階段と呼ぶには高さと幅がさほど規則的ではないとも言えます。

 

また、地形全体が傾いており、人が快適に暮らせるかも疑問です。

 

④ 目的や意図、文化性があること

さらに、硬い岩を何十mも美しい直線で切り出すほどの高い技術力があるならば、

もっと人間の意図が感じられるような構造となっているのではないかとして

四つ目の条件も否定されてしまいます。

 

この世には、自然が作り出したとは

思えないような岩がたくさん存在します。

人工的に見える与那国島の海底遺跡も

自然の奇跡が生んだ芸術なのでしょうか。

 

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実際のところはどうなのか?

 

さて、実際のところ、どちらが正解なのでしょう?

 

現時点では、人が作り出した遺跡であるという

確固たる証拠が見つかっておらず、

「自然が作り出した産物だ」という主張が強くなっています。

 

しかし、ボストン大学の准教授で地質学者のロバート・ショック氏は

この地形は、95%以上は自然によってできたものであるが

古代の人々の手によって加工された可能性はある

という説を唱えています。

 

未だ、その謎の答えは出ていません。

真実を追い求めて、与那国島の海底では

現在も調査が進められています。

 

面白いことに、考古学や科学の常識は

いつでも、たった一つの発見で簡単に覆ります。

 

日本列島に旧石器時代の文化があると分かったのが

昭和に入ってからだったように、

私たち人類には、常に大きな新発見の可能性があるのです。

 

日本の西の彼方に沈む謎の海底地形。

 

人の手によって作り出されたにしても

自然によって生み出されたにしても

いずれにせよ、奇跡の産物であることは、間違い無いでしょう。

 

そういえば、人類が生まれるよりも遥か昔。

5500万年前に超古代文明が存在した可能性を秘めた痕跡が、

近年発見されているんです。

 

そのお話は、概要欄に貼っておきますので

興味のある方は、見てみてくださいね。

 

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