史上最悪の海難事故!タイタニック号沈没事故の真相!(前編)
「決して沈まない船」。
そう謳われ、航海初日から人気を博した
最先端の豪華客船がありました。
“不沈船“ タイタニック号。
誰もが羨む、優雅で安全な船の旅。
目指すはアメリカ・ニューヨーク。
2000人の乗客を乗せ、
期待の眼差しに見送られながら
初航海に華々しく舵を切ったタイタニック号が、
わずか4日で海に沈むことになるとは。
1912年4月14日の深夜のこと。
それは不慮の事故だったのか、或いは・・・
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、史上最悪の海難事故!
タイタニック号沈没事故の真相(前編)をご紹介します。
世界最大級の豪華客船タイタニック号
20世紀初頭。
北アイルランド・ベルファストの造船所にて
一隻の豪華客船が建造されました。
ギリシャ神話に伝わる古の巨体の神々
ティタン(Titans)に因み名付けられた、
“タイタニック号(RMS Titanic)”。
全長269.1m、幅28.2m、高さ53m。
世界最大級の大きさを誇るその船は
非常に高度な安全対策が施され、
それは現在の技術水準から見ても
高い安全性を備えたものでした。
二重の船底、
16の区画に区分した頑丈な防水隔壁、
その他にもあらゆる機能を実装し、
たとえ2区画が浸水しても
沈没しない特別な構造は、
タイタニック号の最大の売りとして
大々的に広告され、多くの人々の心を掴んだのです。
不沈船の船出
決して沈まない“不沈船”と謳われた
タイタニック号の初航海は、
1912年4月10日のこと。
エドワード・ジョン・スミス船長の指揮のもと
イギリスのサウサンプトン港から
アメリカのニューヨークを目指し出港しました。
大西洋を横断するこの航路は
当時とても人気がありました。
1830年代に初めて蒸気船での
大西洋横断が行われて以降、
最速で大西洋を横断した船には
ブルーリボン賞と呼ばれる賞が授与され、
この名誉ある賞を獲得すべく
各国は国の威信をかけて、最速記録の更新に挑んでいました。
しかし、豪華客船の乗客は
優雅な旅を望みます。
そこでタイタニック号を所有する
ホワイト・スター・ライン社は
大西洋でのゆとりある贅沢な船旅を売りにしたのです。
タイタニック号の航海に集まった
乗客乗員は、合わせて2200人以上。
客層は一等〜三等に分けられ、
当時のイギリスの階級社会を映し出していました。
イギリスとアメリカの上流階級から
教師や公務員などの中流階級、
三等客室の乗客の多くはアメリカへの移民でした。
6日間の船旅にかかる費用は
一等客室のスイートクラスが4350ドル、
三等客室はわずか35ドル余り。
船内も等級に合わせて明確に分かれ、
一等船室は、煌びやかな装飾に彩られ、
豪華なラウンジや海原を見渡せるカフェテリア、
小さなジムまで設けられていました。
二等船室は、一等船室よりは劣るものの、
専用の浴室や二段ベッドなどが用意され
十分快適に過ごせる環境でした。
一方、三等船室は船の下層に位置し、
客室も非常に狭く、なかには
機械の振動が響く部屋もあったりと
あまり良い環境とはいえないものでしたが、
それでも、多くの移民にとっては
これまでの生活よりも
ずっと豪華な寝床だったといいます。
史上最悪の沈没事故の発生
贅沢な船旅を楽しむ人。
新天地への希望を抱く人。
様々な想いを抱く乗客たちを乗せ、
1912年、ついに出港したタイタニック号は
順調な航海を続けていました。
ところが、悲劇は突然に訪れます。
航海4日目、4月14日の夜。
外の気温は氷点下近くまで下がり、
海は不気味なまでに静かで
それは空に煌めく星々を
水面にはっきりと写し出すほどに穏やかでした。
運命の午後23時39分。
寝静まった乗客を乗せ、
暗く冷たい海を進むタイタニック号。
その前方450mの場所に
高さ17mの氷山があると気づいた時には
既に手遅れでした。
急いで船を左に旋回させるも
回避できずに氷山に衝突し、
船の右腹が大きくえぐられたのです。
大きな衝撃とともに、船は停止。
安全対策のために設けられた
16の防壁ブロックのうち、
破損した5箇所の穴から瞬く間に浸水し、
船の最下部と、船首近くの三等客室に
冷たい海水が勢いよく流れ込みました。
衝突からわずか20分、
タイタニック号は夜の海に沈み始めます。
40分後の0時20分に
救命ボートによる避難が始まり、
0時45分にようやく
最初の救命ボートが船を離れました。
懸命な避難活動が続けられる中
水の重さに船は急速に傾き続け、
想定外の負荷を受けた船体は
激しい音を立てながら
二つに折れて沈没。
そして衝突から2時間40分後の
午前2時20分、
船の姿は完全に見えなくなったといいます。
華々しく初航海に舵を切った
豪華客船タイタニック号は、
1513人もの犠牲者を出す最悪の事態を迎えました。
安全性を強みとしたうえ、
「これほどの大きな船は絶対に沈まないだろう」
と考える乗客が多く、避難がもたついたこと。
救命ボートの数が乗客の半分の
約1000人分しか用意されていなかったこと。
加えて、定員の半分以下しか乗せずに
船を出たボートもあったこと。
これらの要因も重なり、
犠牲者はさらに拡大したと言われています。
救命ボートに乗ることができた
乗客のほとんどは、
一等客室と二等客室の人々でした。
三等客室の貧しい移民の乗客は
複雑な通路に迷ったり、
一等・二等客室から隔離するための
仕切りに阻まれたりして、
そのほとんどが
デッキに辿り着くことすらできませんでした。
当時の最新技術を結集し作られた
期待の豪華客船タイタニック号の沈没は
20世紀最大の海難事故となり、
世界中の人々に衝撃を与えました。
事故後、原因究明のため
すぐに調査が開始されますが、
次々と見つかったのは、この事故の不可解な点。
そうして、タイタニック号沈没事故の
裏に隠された奇妙な仮説が
まことしやかに囁かれるようになるのです。
続く中編、ぜひお楽しみに。