日本古来の怪物と現代に残る痕跡!ヤマタノオロチの驚愕の正体!(前編)

その目は赤加賀智の如くして、
身一つに八頭八尾あり。

またその身に
蘿と檜、椙生ひ、

その長は
谿八谷峡八尾に度りて、

その腹を見れば
悉く常に血爛れたり。

『古事記』

ヤマタノオロチ伝説。

はるか昔、出雲の国に住み、人々を恐怖に陥れたとされる異形の怪物は、今の時代にも現存する数多くの痕跡を遺していきました。

語り継がれる、恐ろしい記録。

怪物は、本当に実在したのでしょうか?

その正体とは、一体なんなのでしょう。

こんにちは。えむちゃんです。
今回は、古より伝わるヤマタノオロチ伝説と、その存在を示す痕跡の数々をご紹介します。

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ヤマタノオロチの伝承(日本書紀/古事記)

出雲国の異形の怪物、ヤマタノオロチ

その存在が初めて記されたのは、8世紀初頭にまとめられた書物『古事記(712年)』と『日本書紀(720年)』でした。

まずはその中に記録されるヤマタノオロチの物語をお話ししましょう。

八百万の神々が住まう世界、高天原。

ある時、そこを追放された男がいました。

男の名は、スサノオノミコト(須戔鳴尊)。

彼は、出雲国の斐伊川上流の鳥上に降り立ちました。

スサノオノミコトが上流へ向かうと、一人の娘・クシナダヒメと彼女を囲んで泣いている老夫婦・アシナヅチ(足名椎命)とテナヅチ(手名椎命)を見つけました。

「なぜ泣いているのだ?」

スサノオノミコトが問いかけると、老夫婦はこう答えました。

「私たちには8人の娘がいたのですが、年に一度、ヤマタノオロチがやってきて、毎年娘たちを一人ずつ食べていったのです。

そして今年も、ヤマタノオロチがやってくる時期が来てしまった。

最後の娘であるクシナダヒメまで食べられてしまうと思うと、悲しくて悲しくて・・・」

「ヤマタノオロチとは一体どんな怪物なのだ?」

スサノオノミコトが尋ねました。

「一つの胴体に、八つの頭、八つの尾を持ち、ホオズキのように真っ赤な目をした怪物です。

体には苔やヒノキ、杉が生えていて、8つの谷と8つの尾根にまたがるほどの巨体です。

そして、その腹は、いつも血で爛れているのです。」

これを聞くと、スサノオノミコトは少しの時間考えて、こう言いました。

「そなたたちの娘・クシナダヒメと結婚させてくれるのならば、ヤマタノオロチを退治してやろう。」

老夫婦は、娘の命が助かるならばと、この提案を受け入れました。

さて、怪物退治を請け負ったスサノオノミコトは、まずはクシナダヒメを守るために彼女を櫛の形に変え、自分の髪に挿しました。

そして、老夫婦にこのようなことを命じます。

何度も繰り返し絞った強い酒・八塩折之酒(やしおりのさけ)を醸すこと。

そして8つの門を作り、それぞれに棚を置き、棚には酒を満たした酒桶を置くようにと。

老夫婦が言われた通りに準備をして待っていると、凄まじい地響きを立てて、ついにヤマタノオロチがやってきました。

ところがヤマタノオロチは酒桶を見つけると、8つの門にそれぞれ頭を入れ、たちまち八塩折之酒を飲み始めました。

しばらくして、強い酒に酔い潰れたヤマタノオロチは、その場に突っ伏して寝てしまいました。

そこですかさずスサノオノミコトが飛び出すと、ヤマタノオロチを刀で切り刻み、見事に怪物を打ち破りました。

その時、不思議なことが起こりました。

ヤマタノオロチの尾を切った時、刃先に何かが当たり、欠けてしまったのです。

不思議に思い、尾を切り開くと、なんとそこから一本の大きな剣(つるぎ)が見つかりました。

それは、三種の神器の一つ、天叢雲剣でした。

スサノオノミコトは、この天叢雲剣を八百万の神の最高神にして姉である天照大神に献上しました。

ヤマタノオロチを無事に退治したスサノオノミコトは、クシナダヒメと結婚し、出雲の須賀の地に宮を建てました。

そして、そこから雲が立ち上がった様子を見て、歌を詠みました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを

これが 日本最古と言われる和歌です。

宮に垣根を八重にはり、妻クシナダヒメを大切にしようというスサノオノミコトの心が詠われています。

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ヤマタノオロチ伝説の伝承地

日本最古の書物に残る、ヤマタノオロチの物語。

実は、この伝承に関する記録は、書物だけではありません。

物語の舞台となっている出雲には、ヤマタノオロチとスサノオノミコトに関する歴史的な地物が数多く残っているのです。

ヤマタノオロチの正体に迫るため、まずは現代に残るヤマタノオロチ伝説の痕跡を辿っていきましょう。

<船通山>

スサノオノミコトが高天原を追放され、最初に降り立った場所、“出雲国の斐伊川(ひいかわ)上流の鳥上(とりかみ)”。

そこは、島根県奥出雲町にある船通山にあたると言われており、斐伊川はこの船通山を源流としています。

<万歳山 / 温泉神社>

船通山の麓に降り立ったスサノオノミコトは、老夫婦のアシナヅチとテナヅチ、そしてその娘のクシナダヒメに出会います。

彼らが住んでいたとされる斐伊川上流の万歳山の山腹。

そこには、アシナヅチとテナヅチを祀った神石が、温泉神社の境内に存在しています。

この温泉神社は、奈良時代に作成された地誌『風土記』にも、”漆仁社(しつにのやしろ)”という名で記録されています。

<天が淵>

同じく万歳山の近くにある“天が淵”。

斐伊川上流、雲南市木次町にある淵で、ヤマタノオロチはここを住処にしていたと言われています。

<釜石>

伝説の中心、斐伊川のほど近く。

スサノオノミコトが老夫婦に八塩折之酒を造らせた際の釜跡とされる岩、“釜石”があります。

<印瀬の壺神>

また、八塩折之酒を盛った八つの酒桶のうちの一つであるとして、“印瀬の壺神”と呼ばれる酒壺も残されています。

これは八口神社の境内に祀られています。

八口神社のその名は、ヤマタノオロチの8つの頭をスサノオノミコトが斬ったことが由縁とされています。

また一説には、スサノオノミコトがこの神社から放った弓矢が、ヤマタノオロチを射抜いたともされています。

風土記上の八口神社は、射抜く矢の字で「矢口社(やぐちのやしろ)」として登場します。

<草枕山>

八口神社から拝む草枕の山は、八塩折之酒を鱈腹飲んで酔い潰れたヤマタノオロチが枕にして寝たと言われる山です。

現在は、度重なる水難のため、山の一部のみが残っています。

<八本杉>

斐伊神社に立つ八本杉には、ヤマタノオロチの頭が埋められていると言われています。

スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したのち、再び生き返り人を襲うことのないように、八つの頭を土に埋め、その上に八本の杉を植えたと伝えられています。

<石壺神社>

また、石壺神社の境内社である尾呂地(おろち)神社には、スサノオノミコトによって切り落とされたヤマタノオロチの尾が祀られています。

かつての地名を「尾原村」、これも伝説が由縁となっています。

<須我神社>

他にも、スサノオノミコトがクシナダヒメを想い造った宮「須賀宮(すがのみや)」が、現在は、須我神社として残るなど、出雲の地にはヤマタノオロチ伝説にまつわる痕跡が溢れているのです。

書物にも、土地にも、建物にも、深く根付くヤマタノオロチ伝説。

一伝承としては多くの痕跡が残されているヤマタノオロチのその正体とは、一体何なのでしょうか?

神話が生まれたかつての時代背景や風土を分析することで、謎は少しずつ明らかになります。

古来、日本に伝わるヤマタノオロチの驚愕の正体については、続く後編でご紹介しますので、ぜひチェックしてみてくださいね!

→ 『明らかになる伝説の真実!?ヤマタノオロチの驚愕の正体!(後編)

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