かつて日本に君臨した呪術師たち!最強の陰陽師6選!

占術、呪術、祭祀、天文。

陰陽道に基づいて
彼らは時を測り、暦を作り、未来を占う。

かつて日本の中心で
官職として仕えた陰陽師

古い文献に記された
彼らの超人的な逸話、
神秘的な方術の数々は
時を超え、今もなお人々を魅了します。

こんにちは。えむちゃんです。

今回は、かつて日本に君臨した
稀代の陰陽師6選
をご紹介します。

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賀茂忠行 / 平安時代前期〜中期

平安時代に活躍した陰陽師・
賀茂忠行(かものただゆき)。

第60代 醍醐天皇の時代から
第62代 村上天皇の時代まで仕えたとされ
当時、「比類する者がいない」と言われるほど、陰陽道に精通していました。

当時の天皇達からの信頼も厚く、
その腕を披露するように命じられた際には
射覆(せきふ)」と呼ばれる
覆いの中身を言い当てる透視術を披露し、
見事的中させたと伝わります。

忠行の最大の功績は、
陰陽寮(おんようりょう)の3部門
天文道・暦道・陰陽道」を
全て統括したことにあります。

陰陽寮とは、律令制の日本において
天文現象の記録や観測、暦の編纂、
占いなどを担った機関のことです。

元来、3つの部門ごとに専門家を置き
分業体制が取られていましたが
忠行はそれを全て掌握し、
陰陽道における賀茂家の地位を確立しました。

また、陰陽師の育成にも注力し、
子・賀茂保憲(かものやすのり)を
一流の陰陽師に育て上げただけでなく
かの安倍晴明を幼いうちから弟子に迎え
自らの術の全てを教え込んだとされています。

賀茂保憲 / 917年〜977年

賀茂忠行の子にして
父と同様、非常に優れた陰陽師であった
賀茂保憲(かものやすのり)。

安倍晴明の師、或いは兄弟子とも言われ、
陰陽道のうち、天文道を安倍晴明に、
暦道を子・光栄(みつよし)に継がせ
陰陽道宗家を二分したとされています。

平安時代末期に成立した
今昔物語集』には、
幼い頃から才能を発揮していた
保憲の逸話が記されています。

父・忠行がお祓いをしに
家を出ようとした時、
当時10歳ほどであった保憲は
「どうしても一緒に行きたい」と強くせがみました。

そこで、忠行は仕方なく
保憲を牛車に乗せ、
一緒に連れて行ってやることにしました。

お祓いが終わり帰る道中、
保憲は父に問いました。

「先ほどのお祓いの場、
人のようで人でない
恐ろしい気配をまとった者たちが
二、三十人ほどやってきて、
ずらりと並んでおりました。

お供物を食べた後、
作り物の船や牛車、馬などに乗って
散り散りに帰って行きましたが、

あれは一体なんだったのでしょうか?」

忠行は驚きました。

「保憲は鬼神を見たのだ。

陰陽道に優れる私でさえ
幼い頃は見ることはなかった。

ようやく鬼神を見たのは
陰陽の術を習得してからのことだ。

この子はきっと素晴らしい陰陽師になるだろう。」

そうして家に帰るなり、忠行はさっそく
陰陽道について知る限りのことを
全て教え込んだといいます。

安倍晴明 / 921年〜1005年

“歴代最強”と名高い天才陰陽師・
安倍晴明

賀茂忠行、賀茂保憲に陰陽道を学び、
天文道を伝授され、
やがて賀茂家と並ぶ二大陰陽道宗家として
安倍家、後の土御門(つちみかど)家の祖となりました。

晴明にまつわる伝説は数知れず。

彼の出生についてだけでも、
様々な説があります。

大阪に伝わる『葛乃葉伝説』によれば、
安倍保名(あべのやすな)という人物と
“葛の葉(くずのは)”という名の
白狐との間に生まれた子供が
晴明であるとされています。

晴明は賀茂保憲のように
幼くしてその才能が開花しました。

あるとき、夜間の見張りをしていた晴明は
前方から百鬼夜行の群勢が向かってくるのを発見し、
寝ていた加茂忠行を起こして
難を逃れたことがありました。

このことから忠行は晴明をそばにおき、
大切に教え育てたといいます。

また、晴明は名だたる陰陽師たちの中でも
突出した存在でした。

宇治拾遺物語』によれば、
ある日、晴明の元に 二人の子供を連れた
年老いた僧が訪ねてきて、
陰陽道を教えてほしいと言いました。

しかし、これは罠でした。

老僧の正体は、
播磨の国の陰陽師・智徳法師


彼は晴明の噂を聞きつけ、
その腕を試すため、
2体の式神を子供の姿に変え、
晴明の技と才能を推し量ろうと目論んでいたのです。

ところが、その企みを見抜いた晴明は
逆に術を掛けることにしました。

袖の中で印を結び、密かに呪文を唱えると
二人の式神の姿は途端に消え去り、
驚いた智徳法師は慌てて謝罪しました。

「他者の式神を消すなど、
全く不可能なことだ。

どうか私を弟子にしてください。」

そうして晴明は
彼を弟子に迎え入れたといいます。

蘆屋道満 / 生没年不詳

そんな安倍晴明には、
ライバルの陰陽師がいました。

蘆屋道満(あしやどうまん)。

清明と対立する形で
様々な文献に伝承が残る一方、
実在したかもわからない、謎に包まれた人物です。

道満に関する記述は、
『宇治拾遺物語』や『古事談』を皮切りに
現れるようになります。

ある時、公卿・藤原道長
外出のため門を潜ろうとしたとき、
可愛がっていた犬が突然その行手を阻みました。

不思議に思った道長は
安倍清明に占わせると、
どうやら道の中に呪具が埋められている
とのこと。

早速掘り起こしてみると、
黄色い紙で十文字に縛られた
二つの土器が現れ、
土器の底には朱で文字が書いてありました。

呪いの犯人を探すため
晴明は懐から紙を取り出し、
鳥の姿に結んで宙に投げると
紙の鳥はたちまち白鷺となって
南の方角に飛んでいきました。

鳥が導いた先には、
道満と同一人物とされる
道摩法師の家がありました。

「なぜ呪詛をかけたのか?」
と問い詰める晴明に、
道満は、道長を呪い殺そうと企む
藤原顕光(ふじわらのあきみつ)に
雇われたのだと白状するのでした。

道満と清明、二人の術比べの伝説は
その多くが道満を悪とするものですが、
一部には晴明の協力者としての
善良な姿が描かれることもあります。

安倍泰親 / 1,110年〜1,183年

安倍晴明の五代目の子孫にして
晴明以来の天才と言われた、
安倍泰親(あべのやすちか)。

占いや天文の分野で類稀なる才能を発揮し
特に占術においては
泰親の右に出る者はおらず、
鳥羽法皇や後白河法皇、公卿・藤原頼長等
朝廷で厚い信頼を得ていました。

彼の占術は非常に優れ、
『平家物語』や『台記(たいき)』、『玉葉(ぎょくよう)』などによれば、

1,148年に起きた天皇の御殿である
土御門内裏(つちみかどのだいり)の火災

1,172年に起きた後白河法皇の皇女・
惇子内親王(あつこないしんのう)の急逝

1,179年の大地震、
その直後に起きた平清盛による
後白河法皇の院政の停止(治承三年の政変)

さらには1180年に起きた
後白河法皇の第三皇子・以仁王(もちひとおう)の挙兵まで
ほかにも様々的中させたといいます。

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鬼一法眼 / 生没年不詳

室町時代初期に綴られた軍記物語
義経記』に登場する伝説の陰陽師・
鬼一法眼(きいちほうげん)。

彼は京都の一条堀川に住む
僧侶の格好をした陰陽師で、
文武の達人だったとされています。

また、日本の剣術の源流の一つ、
京八流の始祖であることから
剣術の神“としても崇められています。

『義経記』には、鬼一法眼が所有していた
中国より伝わる天下の兵法書
六韜三略(りくとうさんりゃく)」をめぐる一騒動が記されています。

全十六巻からなるその書は
読めば超人的な力が手に入るとされ、
征夷大将軍として蝦夷征伐を成功させた
坂上田村麻呂や、関東独立をはかり
朝廷と対立した平将門など、
読んだ多くの人物が偉業を成し遂げたといいます。

六韜三略は代々、
帝の宝蔵に秘蔵されていましたが、
のちに鬼一法眼が祈祷の対価にこれを賜りました。

後日、
不思議な書の噂を聞きつけた源義経は、
自分も一目見たいと、
鬼一法眼の屋敷を訪ね、
1日だけ貸してほしいと言いました。

しかし、鬼一法眼は、
その頼みを拒否します。

すると義経は考えを巡らせ、
鬼一法眼の娘と契りを交わし、
彼女にこの書を盗ませたのです。

望み通り六韜三略を手に入れた義経は
昼には書写、夜には学習と
一日中読み耽り、

そうして7月上旬に読み始め、
11月10日頃には、十六巻全てを
一文字も漏らさず覚えきったのでした。

鬼一法眼が実在したかは
定かではありませんが、
京都の鞍馬山には彼を祀る社があったり、
屋敷跡が残されていたりと、
その存在を物語る数々の痕跡が現存します。

かつて日本の中心で活躍した
彼ら陰陽師ですが、
時代の経過とともに急速に権威を失い
やがて明治政府により
天社禁止令(てんしゃきんしれい)」が発令されると、
陰陽道は迷信であるとして禁じられてしまいます。

それでも、彼らの尊んだ思想は
民間で大切に守られ、
現代まで受け継がれています。

それはたとえば、
正月や節分、桃の節句に端午の節句。

遥か昔に陰陽師が
国と人々の安寧を願い暦を作ったように、
私たちは陰陽道の風習に触れるたびに
時の流れを感じながら、来る未来を想い願うのです。

さて、陰陽師の活躍した時代、
彼らの仕える朝廷では
様々な奇怪な事件が起きました。

襲い来る天災、
天皇家の突然死。

それはまるで、悲運な最期を呪い恨んだ
怨霊の祟りのように
因縁の相手にばかり降りかかるのです。

人々を恐怖に陥れた
六人の大怨霊
については、
こちらの記事でご紹介していますので、
気になる方はぜひ、チェックしてみてくださいね!

→ 『日本を震撼させた!最恐最悪の大怨霊6選

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