一騎当千の覇者!人類最強の女戦士5選!
彼女たちは武器を手に取り、立ち向かう。
守るべき者のため。
己の信条を貫くため。
胸に秘めし想いは
陽光のようにあたたかく、
炎のように燃え盛り、
海のように深い愛に満ちている。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、一騎当千の覇者!
人類最強の5人の女戦士をご紹介します。
アルテミシア1世 / ハリカルナッソスの女王
紀元前5世紀。
圧倒的な武力と知力で
ペルシア帝国を支えた
“戦場を駆ける女王”。
ハリカルナッソスの女王、
アルテミシア1世。
彼女こそ、最強の座に相応しい。
アルテミシア1世の夫は
王族でない身分でありながら
実力により権力を得た、僭主と呼ばれる人物でした。
夫の死後、
その地位を引き継いだアルテミシアは
アケメネス朝ペルシアの勢力範囲にある小アジア沿岸の都市・
ハリカルナッソスの女王となります。
彼女の統治した時代、
ペルシアは長くギリシアと戦争を繰り広げていました。
紀元前480年8月、
テルモピュライの戦いにおいて
ペルシア軍は痛手を負いながらも
大きな勝利を収め、
通過する都市を次々と焼き払いながら
順調に南へ進軍。
しかし、同年9月に勃発した
サラミスの海戦で
戦局は大きく変わります。
海側からの侵攻を狙い、
艦隊を派遣したペルシアに対し、
ギリシア連合軍が海上での決戦を挑んだのです。
この重大な局面に、
ある一人の指揮官が声を上げました。
ペルシア唯一の女性指揮官アルテミシアです。
彼女は同盟諸国の全ての指揮官の中で
最も賢く、また、彼女の率いる船は
ペルシアの全艦隊の中で最も優秀だと
高い評判がありました。
サラミスの海戦に際し、アルテミシアは
ギリシア海軍の力を侮ってはいけないと
海上での戦いに反対し、
陸路で攻め入るべきと進言しました。
しかし、彼女の活躍をよく思わない
周囲の指揮官たちに封じ込められ、
妬みついでに、
確実に勝てる作戦に反対した
アルテミシアは、失脚とまで囁かれてしまうのです。
海戦が始まると、アルテミシアは大活躍し
ギリシア軍を次々と打ち倒しました。
船の数はギリシアの倍。
ペルシアは明らかに優勢と思われました。
ところが、地の利を生かしたギリシア軍は
次第にペルシア軍を圧倒し、形勢は大逆転。
ついにはアルテミシアの指揮する船も
ギリシア船に追われてしまいます。
絶体絶命の状況の中、敵船の追跡を
振り払えないと判断したアルテミシアは
捨て身の作戦に出ます。
目の前を横切る味方の船の横腹に
思いきり激突したのです。
すると、アルテミシアの船が
味方だと勘違いしたギリシア船は
ぴたりと追跡を辞め、
なんとかその場を切り抜けることに成功しました。
結局、ペルシアは敗北し、
彼女の危惧した通りの結果となりました。
ただ一人作戦に反対し、
戦場では機転を効かせたアルテミシア。
成人した息子がいながら、
自ら戦地に赴いた彼女の勇姿は、
歴史家ヘロドトスによって讃えられ、
後世まで伝えられています。
ブーディカ / ケルトの女王 (出生年不明-60/61年)
高い背丈に、腰まで伸びた真っ赤な髪。
鋭い眼光、低く荒々しい声。
イケニ族の女王、ブーディカ。
彼女こそ、最強の座に相応しい。
紀元1世紀。
ブーディカは、ケルト人イケニ族の
王であった夫・プラスタグスの死後、
跡を継いで女王となり、
ブリタニアのノーフォーク地域を治めます。
プラスタグスは生前、イケニ族を守るため
ローマ帝国と同盟を結びました。
しかし、帝国の派遣したブリタニア長官
スエトニウスは、彼の死に乗じて、
ローマの法律を無理やり押し付け
イケニ族の土地や財産を奪い、
さらには女王ブーディカと
二人の娘を捕らえて、
公の場で辱めを与えたのです。
復讐を誓ったブーディカは
周辺の部族をまとめ上げ反乱を起こし、
各地のローマ帝国の植民地を次々と攻略しました。
彼らは帝国の正規軍すらも打ち倒し、
ローマ人たちが設立した都市・
ロンディニウム、現在のロンドンまで悉く破壊して、
さらには、
ロンドンの北に位置するウェルラミウム、
現在のセント・オールバンズで数万人もの人々を殺戮しました。
ブーディカたちの進軍に
当時のローマ皇帝ネロは激しく動揺し、
ブリタニアからの全面撤退を考えるほどに追い詰めますが
最後は因縁の相手、スエトニウス率いる
ローマ軍との戦いに敗れ、
捕らえられたブーディカは
毒を飲み自害したと言われています。
彼女の死後、
皇帝ネロは反乱の原因を詳しく調査し、
ブリタニア人への数々の暴挙を厳しく裁くと、
彼らの人権と文化を尊重するように命じ、
事は終着したのでした。
ジャンヌ・ダルク / フランスの守護聖人 (1412年-1431年)
少女は神の声を聞き、一国を救う。
軍勢率いる、“オルレアンの乙女”。
フランスの守護聖人、ジャンヌ・ダルク。
彼女こそ、最強の座に相応しい。
「シャルルを助け、フランスを救いなさい。」
1412年、フランス東部の町に
農夫の娘として生まれたジャンヌは、
13の時に神の啓示を受けたとして、
フランス軍に従軍します。
当時のフランス国内は、
長く続くイギリスとの百年戦争により
壊滅的なダメージを受け、
最後の砦、オルレアンの街でも劣勢を強いられていました。
陥落も時間の問題かと思われていた
まさにその時、彼女は現れました。
フランス王太子シャルルは、
17歳のジャンヌと対面し、
彼女の強い信念に、オルレアンの守備隊への参加を許可します。
するとジャンヌは
たった9日で兵士たちの士気を高め、
フランスは奇跡的な勝利を収めたのです。
ジャンヌの従軍中、
フランス軍は次々と戦果を上げ
戦局は優勢に変わり、
また、イギリスに奪われていた
王位継承権も奪還して
王太子はフランス王シャルル7世として
王の座につくことができたのでした。
ところが、1431年、
イギリスと密かに通じていた
フランスの聖職者により、
ジャンヌは異端審問にかけられてしまいます。
ズボンを履いたこと。
教会を挟まず神と直接対話したこと。
これにより有罪判決を下され、
火炙りとなったジャンヌは
当時まだ19歳でした。
長く続いた百年戦争は
1453年、イギリスが撤退する形で
幕を閉じます。
戦争終結後、当時のローマ教皇の命で
復権裁判が行われ、
聖人ジャンヌの無実は認められたのでした。
巴御前 / 平安時代末期の女武者 (生没年不明)
平安の戦場に舞う、麗しの女武者。
薙刀を握り、凛と佇む。
主君の忠臣、巴御前。
彼女こそ、最強の座に相応しい。
“巴は色白く髪長く、
容顔まことに優れたり。
ありがたき強弓精兵、
馬の上、徒歩立ち、
打ち物もっては
鬼にも神にも会はうどいふ
一人当千の兵者なり。 “
『平家物語』
平安時代末期。
巴御前は信濃国の豪族、
木曽の家に生まれたとされています。
一族は主君、源義仲(よしなか)、
またの名を木曽義仲に仕え、
巴は義仲のそばで育ちました。
幼い頃から力が強く、武芸に長け、
義仲の稽古相手として大いに認められ、
その後は戦地に赴く主君に付き従うようになります。
薙刀を握れば一騎当千。
暴れ馬も乗りこなす。
並大抵の腕力では扱うことのできない
強い張りの弓、強弓を容易に扱い、
戦場で活躍する日々。
当時、義仲は
源平合戦の渦中にあり、源頼朝・平家と
三つ巴の対立関係にあったために
争いが続いていました。
しかし、1184年、
源義経らと交戦した宇治川の戦いで
義仲は戦線から脱落することとなります。
敗北の寸前、残る味方は7騎ほど。
死を覚悟した義仲は、
巴に逃げるよう言いました。
巴ははじめ、
共に死ぬと言って聞きませんでしたが、
何度も促され、ついには泣く泣く従うのです。
死にゆく主君に、巴は言いました。
「最後のいくさしてみせ奉らん
(最後の奉公でございます)」
そして現れた敵将に馬を押し当て
引きずり落とし、その首を切って、
一人落ち延びたのでした。
謎多き巴御前。
その生涯は文献により
様々に綴られますが、
彼女の尽くした忠義は、
みな一様に描かれています。
新島八重 / 江戸末期〜昭和初期の教育者 (1845年-1932年)
時代を先駆ける気高き女傑。
幕末の壮絶な世に生きた
逆境の狙撃手、新島八重。
彼女こそ、最強の座に相応しい。
母は会津藩の砲術師範役の長女、山本佐久。
父は師範役の後継者となった婿養子、権八。
1845年に生まれた二人の娘、八重は
その血を色濃く受け継ぎました。
男らしく快活な八重は
幼いうちからさっそく鉄砲に興味を持ち、
兄から西洋式の砲術を積極的に教わりました。
22歳の頃、戊辰戦争が勃発すると、
八重の運命は大きく動き出します。
明治新政府が会津藩を敵と見做し、
追討令が下されるのです。
籠城戦が始まると、
八重は男のように断髪し、
戦死した弟の形見に身を包んで
刀と7連発のスペンサー銃を握り奮闘しました。
八重が独自に持ち込んだスペンサー銃は、
会津藩にとって唯一の1挺でした。
手元の弾はたった100発。
それでも、兄に教わった砲術の腕で
薩摩藩の二番砲兵隊長を打ち抜くという成果を挙げました。
「私は弟の敵を取らねばならぬ、
私すなわち三郎だという気持で、
その形見の装束を着て、
一は主君のため、一は弟のため、
命の限り戦う決心で、
城に入りましたのでございます」
八重がのちに綴った言葉です。
その後1894年の日清戦争や、
続く日露戦争では
篤志看護師として従軍し、
看護指導などの功績から宝冠賞を与えられ、
また維新後は
キリスト教の布教活動に貢献し、
同志社女学校の設立に尽力するなど
精力的に福祉活動を行いました。
晩年は茶道をたしなみ、
静かに、穏やかに過ごしたといいます。
使命を背負い全うした、
歴代の女戦士たち。
彼女たちに限らず、
命を賭して戦う戦士の姿は
人の心を打つものです。
かつて実在した人類最強の戦士5選については、
こちらの記事でご紹介していますので
気になる方はぜひチェックしてみてくださいね!