“鼉龍文盾形銅鏡”・“蛇行剣”の持ち主とは?歴史的大発見!古墳時代、最高傑作の呪具!

古墳時代の金属器の最高傑作“。

奈良県立橿原考古学研究所により
そう称された二つの遺物は、
いずれも国宝級の出土品でした。

2023年1月25日。
奈良県、富雄丸山古墳。

日本最大の円墳から発見されたのは、
国内唯一の“鼉龍文盾型銅鏡”と、
国内最大の2mを超える“蛇行剣”。

これまでの認識を覆す、非常に精巧な技術力。

最高峰の逸品とともに眠る人物とは、
一体誰なのか・・・?

大発見に見る、謎多き古墳時代の新たな景色を紐解きます。

こんにちは。えむちゃんです。

今回は、古墳時代の最高傑作!
“鼉龍文盾形銅鏡”“蛇行剣”と古墳の主の謎

をご紹介します。

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比類なき大発見

直径109m。

富雄丸山古墳は、円墳としては
日本最大の大きさを誇ります。

築造時期は四世紀後半、
古墳時代半ば頃と推定されており、

これは日本の歴史から
記録がすっぽりと抜け落ちた期間
空白の150年”にあたります。

明治時代、
許可なく土地を掘り起こす盗掘により
多数の副葬品が出土したことから
富雄丸山古墳の存在は広く知られるようになり、

以来、発掘調査や測量調査など
熱心な研究が続けられてきました。

そして2023年、ついに
二つの国宝級の出土品は発見されるのです。

遺骸を埋葬する木棺を保護する形で覆った
長さ約6.4m、幅約1.2mの粘土の中に見つかった
それらの遺物は、大変美しい金属器でした。

現場は驚嘆と興奮に包まれます。

鼉龍文盾型銅鏡蛇行剣

いずれも形、大きさの面で前例がなく、
極めて貴重な大発見であることは
研究者たちには一目瞭然でした。

鼉龍文盾形銅鏡

龍のような紋様がある盾の形をした銅鏡
であることから名付けられた、“鼉龍文盾型銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)”。

その長さ、約64cm。幅約31cm。

背面中央には“鈕(ちゅう)”と呼ばれる
紐を取り付ける突起があり、

その上下には弥生・古墳時代の倭鏡(わきょう)に認められる
鼉龍鏡(だりゅうきょう)の模様が鋳出されています。

日本史上、盾型の銅鏡は類を見ず
国内で見つかった鏡の中で最大の大きさを誇り、
装飾の文様は非常に緻密で複雑なつくり。
これはまさしく歴史的な発見といえるものでした。

銅鏡の種類(中国鏡/倭鏡)

古墳時代における銅鏡とは、
制作された場所により
大きく二つに分類されています。

中国大陸で制作され
日本列島へと伝来した“中国鏡”、
またの名を舶載鏡(はくさいきょう)。

そして、中国鏡を模倣しつつ
日本で独自に制作された国産の鏡、“倭鏡”。

いずれも一般的には青銅や白銅など
銅の合金を使って鋳造され、
その多くは円盤状をしています。

磨き上げた鏡面に、
様々な紋様が鋳出された鏡背、
その中央に突起する鈕、縁部などで構成され、

多くは鏡背の紋様や縁部などの特徴をもとに
名前がつけられます。

鼉龍鏡とは?

今回見つかった“鼉龍文盾形銅鏡”の
名前の元となった鼉龍鏡とは、
中国の伝説に登場するワニのような姿をした龍
鼉龍”に由来します。

文様には神々の像があしらわれ、
また(にゅう)と呼ばれる丸い突起を
囲うように配置されているのは
邪悪なものを退ける霊獣の姿です。

1世紀~4世紀初頭に
中国で盛んに作られた中国鏡を
日本の鏡工人(こうじん)が模倣し、
独自の文様を組み合わせた鼉龍鏡は
倭鏡の代表例の一つでもあります。

鼉龍文盾形銅鏡の文様

加えて鼉龍文盾形銅鏡には
非常に精巧な鋸歯文(きょしもん)も描かれています。

鋸歯文とは、
三角形を連鎖して表現される幾何学模様の一つで、
その名は鋸の歯を並べたように見えることから来ています。

また、板の表面は
同年代の古墳から見つかる鏡と同様、
なめらかに研磨されていることから、
盾型の銅鏡として作られたと推測されています。

当時の最高の技術で作られたと見られる
鼉龍文盾形銅鏡の発見は、
これまで考えられていた以上に
当時の金属工芸技術が発展していた
ことを明確に示し、
研究者たちを大いに驚かせました。

鼉龍文盾形銅鏡の意味合い

そもそも古墳時代において
鏡とは祭祀の道具であり、王権を象徴するものでした。

鏡を副葬品として古墳に収めることとは、
死者の眠りを妨げるものがないようにという
魔除けとしての呪術的な意味合いと、

持ち主の権威を示すための
威信財としての政治的な意味合い
両方を併せ持つとされています。

ここにおいて魔除けとは、
邪悪を避けるとされる
中国の伝説上の動物の名から
辟邪(へきじゃ)」と言われます。

辟邪の意味合いを持つ鏡と、
そして戦いにおいて身を守るための
盾を組み合わせた、鼉龍文盾形銅鏡。

最高峰の技術を集めて作られたこの呪具は、
葬られた人物の高い権威性を示しつつ、

その御魂を鏡と盾とで、
魔の物から最大限に守護せんとする
強い願いの込められた副葬品ではないか

と考えられています。

蛇行剣

さて、銅鏡の発見跡から
ブロック状の粘土を挟んで
上段に見つかったのが、もう一つの呪具。

守りの鼉龍文盾型銅鏡の対とも言える
最高の武力を示した副葬品、蛇行剣

刀部の幅は約6cm、
長さはなんと約237cm。

波打つような刃の形をした日本最古の蛇行剣

同時に日本最大の鉄剣であり、
また、東アジアにおいても
同時代の剣でこれほど大きい例はありません。

柄頭、柄口、鞘口、鞘尻には
装具の痕跡が残り、鞘の幅は約9cmにも及びます。

蛇行剣とは?

蛇行剣とは、古墳時代における
日本独自の形状の鉄剣で、
西日本を中心に出土しています。

これまでに見つかっているのは
80例ほどと数少なく、
最大級のものでも全長80cmほど。

今回発見された蛇行剣が
如何に特別なものかが分かります。

蛇行剣の意味合い

蛇行剣は、出土数の少なさやその形状から
実用的な武器としてではなく
宗教儀礼のための武具であった
と推測されています。

鉄製の武器・武具は銅鏡と同様に
魔除けの呪具、辟邪としての意味合いが大きく、
また、持ち主の身分を象徴するものでした。

巨大な蛇行剣が示すのは、
大変高度な鍛治技術、大きな炉などの道具、
そして材料となる大量の鉄を有していたということ。

鼉龍文盾形銅鏡と同じく、
最高峰の技術を結集して作られた逸品でしょう。

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古墳に埋葬された人物とは?

では、これほど丁重に埋葬された
日本最大の円墳に眠る人物とは、
いったいどのような人なのでしょう?

弥生・古墳時代の研究に携わる
大阪大学の福永教授は
このような見解を示しています。

「富雄丸山古墳の主は
ヤマト王権を支えた有力豪族であり、

鼉龍文盾形銅鏡や蛇行剣と共に埋葬されたのは
その主に仕えた腹心のような人物ではないか」

王墓の移動

ヤマト王権は、
3世紀後半ごろから奈良盆地に成立した
大王と有力な豪族の連合政権です。

富雄丸山古墳が作られた4世紀後半はちょうど
元々奈良盆地の南東部にあった王の墓が
富雄丸山古墳のある盆地の北部に
移動してきた時期だと考えられています。

鏡の配布

副葬された二つの呪具からは
古墳に埋葬された人物の身分の高さが伺えます。

ヤマト王権において、
鏡を配布することは重要な意味を持っていました。

各地を治める首長がヤマト王権に服属すると
その証として鏡を配布し、

配布相手の規模や王権との関係性により
鏡の文様や種類、大きさ、数量は異なっていた
と推測されています。

とすると、他に例のない、圧倒的な精度の
銅鏡を持つことを許されるのは、
やはりヤマト王権を中枢で支えた重要人物だろうと考えられるのです。

古墳の主と腹心

さて、今回発見された二つの呪具は
古墳の頂上部分ではなく、
盛り土のすそにある「造り出し」と呼ばれる場所に見つかりました。

造り出しには多くの場合、
古墳に眠る主人の家族や腹心が埋葬されるといいます。

彼らは死してなお、大きな盾と大剣を手に
主の魂を守り続けていたのでしょうか?

古墳に眠る人物には
一帯を支配した王であるなど諸説いわれ、

今後の研究や新たな発見により
謎は徐々に明らかになっていくことでしょう。

未だ解き明かされない古墳時代の大きな謎、
「空白の150年」の秘密も、いつの日かきっと・・・

日本史の記録から消えた空白の150年!
激動の四世紀の謎
については
こちらの記事でご紹介していますので、
気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね!

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