霊魂宿りし古器!平安より伝わる幻の付喪神9選

https://www.youtube.com/watch?v=jbLV-RzTK5Q

「陰陽雑記云、
器物百年を経て、

化して精霊を得てより、
人の心を誑す、
これを付喪神と号すといへり」

『付喪神絵巻』

世にも恐ろしい百鬼夜行。

夜半の人里を練り歩くは、鬼や化け物、
そして、人に捨てられ用無しとなった
道具の妖怪、“付喪神”たち。

その行列を目にした者は死に至る。

命が惜しくば、唱えるべし。

“カタシハヤ、エカセニクリニ、
タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、
ワレシコニケリ”

(難しはや、行か瀬に庫裏に貯める酒、
手酔い足酔い、我し来にけり)
※諸説あり

こんにちは。えむちゃんです。

今回は、霊魂宿りし古器、
平安より伝わる九体の付喪神
をご紹介します。

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霊を宿し器 “付喪神”

八百万の神を信仰する日本の文化。

それは自然や生き物に限らず、
人の手によって作られ、長く使われた物にも
やがて魂が宿ると信じられていました。

百年を経た道具は霊を宿して付喪神となり、
人間の世界と交わります。

平安時代に人々の間で親しまれ、室町時代には
妖怪たちが行列を成して練り歩く“百鬼夜行”が
絵巻物に描かれるようになりました。

鬼や異形の存在に混じって、
確認される器物の妖怪。

魂を持った道具たちは
人を惑わすとされていた当時、
人々は毎年立春を迎える前日、
すなわち節分の日に
煤払い(すすはらい)」を行い、魂が宿る前に
古い道具たちを路地に捨てる習慣がありました。

付喪神絵巻』によると、

つくもとは「百年に一年たらぬ」こととあり、
九十九、すなわち“つくも”という言葉に
由来があると考えられています。

人の暮らしに寄り添い、
九十九年という長い時間を尽くして、
そして地べたに捨てられた道具たちは
人間を恨み、夜に妖怪の姿となって
街で暴れ回るのです。

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九体の付喪神

矛担 / 矛の付喪神

魑魅魍魎の百鬼夜行。

その先頭を行くは
矛の付喪神、矛担(ほこかつぎ)。

室町時代に描かれた
現存する最古の『百鬼夜行絵巻』、
通称『真珠庵本(しんじゅあんぼん)』には、
冠を被り、手に矛を握った青鬼の姿で登場します。

矛は武器であると同時に、
神事に用いられる神器にもなる大切な道具。

一説には、時代の移り変わりとともに
人に軽んじられるようになり、
憎しみの末、妖になったと考えられています。

大幣 / 祓具の付喪神

『百鬼夜行絵巻』において
先頭に次いで歩くは、
祓えの具(はらえのぐ)の付喪神、大幣

幣(ぬさ)とは、神に捧げる布のこと。

そして大幣(おおぬさ)とは、神道において
穢れや罪、厄災を祓う道具のことを言います。

現存する最古の歴史書
『古事記』や『日本書紀』にも
大幣にまつわる記載が確認されています。

大幣をシャンシャンと振るわすお祓いは、
現在によく見る形。

古いしきたりにおいては、音を立てず、
祓う対象を撫でるように静かに振るうこととされていました。

そうして人や物についた穢れを
その身に移し受け、

神前に供えられ、時に御神体となった大幣も
悲しいかな、月日が経てば妖怪と化すのです。

鳥兜 / 鳥兜の付喪神

雅びやかに宙を舞うは
兜頭の鳥妖怪。

『百鬼夜行絵巻』に描かれた
鳳凰の頭を模した、鳥兜を頭に冠する
鳥の姿の付喪神。

鳥兜とは、
舞楽の襲装束(かさねしょうぞく)の一つで、
戦いでは決して使用されることのない
神聖な器物です。

これを被った舞人は、まるで霊鳥のように
美しく舞うことが出来たと言われています。

猛毒を持つ植物、トリカブトにも
同様の名前が付けられていますが、
これは、紫の花の形が鳥兜に似ているため。

日本では、古くから毒殺にも用いられてきた花です。

付喪神となった鳥兜もまた、
毒を巡らす花の如く
優雅に空を舞いながら、人を脅かしたのでしょうか。

不落不落 / 提灯の付喪神

山田(やまだ)もる(守る)
提灯の火とは見ゆれども

まことは蘭ぎくにかくれすむ
狐火なるべしと

ゆめのうちにおもひぬ

江戸時代の画家・鳥山石燕による妖怪画集
百器徒然袋』に描かれた
提灯の付喪神、不落不落(ぶらぶら)

支えの竹をしならせて、
裂け目を大きく空け開き、
怪しく笑う、いわゆる“提灯お化け“です。

月が雲に隠れた晩、
町あかりの一つもない暗がりに
ぽつりと灯る提灯は、
頼りにしてはいけません。

俗説には、死人が出れば現れる
墓場の妖ともされますが、
妖怪画集に記載がなければ、
真相もまた闇の中・・・

鳴釜 / 釜の付喪神

白澤避怪図に曰く
米を蒸す釜から声なす怪奇あり、
鬼の名を斂女(れんじょ)という。

その名を呼べば鬼は自ずと滅ぶことと
夢のうちにおもいぬ

絵馬を手にした釜頭の付喪神、
鳴釜(なりかま)

妖怪画集『百器徒然袋』には、

かつて中国最古の王、黄帝(こうてい)が
万物を知る聖獣(瑞獣)、
白澤(はくたく)より与えられたと伝わる、

妖・神獣・鬼神の対処法を記した書物
白澤避怪図』の引用とともに
その姿が描かれています。

古来、釜は恵みを与え、
家庭を繁栄させるものとして大切にされてきました。

釜で米を炊く際の
音の強弱、長短によって吉兆を占うという
鳴釜の神事”は、幅広い用途で行われてきた歴史ある儀式で、

発祥地と言われる岡山県吉備津神社の
“鳴釜神事(なるかましんじ)”では
今でもこの伝統が受け継がれています。

霊魂宿る鳴釜が音を鳴らす時、
それは幸運の知らせか、あるいは不吉の前兆か。

槍毛長 / 毛槍の付喪神

日本無双の
剛の者の手にふれたりし毛槍にや。

怪しみを見てあやしまず。

まづ先がけやの手がらをあらわす。

妖怪画集『百器徒然袋』に描かれる
毛槍の付喪神、槍毛長(やりけちょう)

毛槍とは、
先端に鳥毛の飾りをつけた長い槍のことで、

回せばふわりと広がる様は
大名行列の象徴として特別目を引くものでした。

猛者の握った毛槍に魂が宿り、
付喪神となった槍毛長は
木槌を振り上げた血気盛んな姿で描かれ、
戦いにおいては真っ先に身を投じ、
手柄を挙げるとされています。

大名行列の先頭で人払いを担う毛槍の、
まるで面影を見るようです。

虎隠良 / 印籠の付喪神

たけき獣の革にて製したる
きんちゃくゆえにや、
そのときこと千里をはしるがごとし

妖怪画集『百器徒然袋』に描かれた
印籠の付喪神・虎隠良(こいんりょう)

両手で熊手を握り、
俊足で地を駆けると伝えられています。

謎多き正体不明の妖で、
その名前からトラの皮で作られた
印籠が元であると推察されていますが、
詳細はわかっていません。

虎隠良は、槍毛長とともに
一つの絵に収められ、

そこにもう一体、
次のような付喪神も描かれています。

禅釜尚 / 茶釜の付喪神

茶は閑寂を事とするものから、
陰気ありてかかる怪異もありぬべし。

文福茶釜のためしもや。

茶釜の付喪神、禅釜尚(ぜんふしょう)

ひっそりとした空間を良しとする茶の場には、
妖しい気が集まり、

その道具にも魂が宿りやすいと考えられていました。

一説には、茶道の通ずる禅宗の関連から
禅和尚転じて、禅釜尚と名付けられたとされています。

妖怪画集『百器徒然袋』に描かれる妖怪は
いずれも襲いかかるような勢いある姿。

禅釜尚もまた例外ではないのでしょう。

この絵を描いた石燕は、室町時代に成立した
『百鬼夜行絵巻』の構図を参考にしたと推察されていますが、

一つの絵に共に収まる三体の付喪神の関係性まではわかっていません。

塵塚怪王 / 塵塚の付喪神

ちりづか怪王は
ちりつもりてなれる

山姥(やまうば)とうの長なるべしと。

妖怪画集『百器徒然袋』に描かれた
塵塚の付喪神、塵塚怪王(ちりづかかいおう)

塵塚とはごみ捨て場を意味し、
古くは日本三代随筆の一つ、
『徒然草』に登場します。

聖なる獣の王が麒麟
鳥の王が鳳凰であるならば、
塵塚怪王は山姥の、或いはゴミの王となる妖怪。

年に一度の煤払い。

人に尽くした百年後に
路地に捨てられ悲しみに暮れる古道具たちを
奮い立たせ率いたのは、塵塚怪王だったのでしょうか。

物を大切に扱うこと。

たくさんのごみで溢れかえる現代、
付喪神たちの声に今一度気付かされるようです。

人々をたぶらかすとされた付喪神。

しかし中には、大切にされた恩返しにと
人間を助けたとする伝承もあります。

付喪神に限らず、
この世ならざる不思議なものたちは
時に人々に善いことをもたらします。

出会えた貴方は幸運です。

きっとこの先、あらゆる形で幸せを得ることでしょう。

幸福と富の妖!
吉兆をもたらす六体の妖怪については
こちらの記事でご紹介していますので、
気になる方はぜひご覧ください。

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