平安最強の武人たち!天下無双の頼光四天王!
遥か平安の世、魑魅魍魎の類いが
闇夜を闊歩していた時代。
数多の妖を葬った
猛き武士が四人。
武将・源頼光に仕えし、頼光四天王。
魔の物たちと渡り合うその強さ、
とくとご覧あれ。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、平安最強と謳われた武人たち!
天下無双の頼光四天王をご紹介します。
頼光四天王の筆頭!渡辺綱
その家臣、頼光四天王の筆頭。
剛胆なる鬼狩り、渡辺綱(わたなべのつな)。
彼は953年、武蔵国、現在の埼玉県で
第52代嵯峨天皇の皇子・
源融(みなもとのとおる)の血を引く
嵯峨源氏の家に生まれました。
すでに父が亡くなっていたことから養子に入り、
のちに母の出身地である摂津国の渡辺、
現在の大阪府にて
その名を「渡辺綱」と名乗るようになります。
逞しく育った綱は嵯峨源氏の縁で
武勇に優れる武将・源頼光のもとに仕えると、
最強の従臣「頼光四天王」の筆頭として活躍し
説話に語り継がれることとなるのです。
『平家物語・剣の巻(つるぎのまき)』に記された
彼の数ある武勲の一つをご紹介しましょう。
ある時、渡辺綱は頼光に
一条大宮へ向かうよう命を受けました。
夜、用事を済ませた綱が馬を走らせていると、
一条堀川の戻橋で、二十歳ばかりの女に出逢います。
その肌は雪のように美しく、
紅梅の服にはお守りを掛け、袖には経を持って
誰もお供をつけず、ただ一人南へ向かっていました。
夜も更けて恐ろしいでしょうと
綱は女を馬に乗せ、
家まで送ってやることにしました。
「私の家は都の外にあるのですが、
よろしいのですか?」
その問いかけに快く承諾した、次の瞬間。
色白の美しい女はたちまち
恐ろしい鬼の姿になったのです。
鬼は綱の髷(まげ)を掴んで、
愛宕山(あたごやま)に連れ去ろうと
上空へ高く飛び立ちました。
しかし、綱は至って冷静。
頼光より授かった刀を抜き、
鬼の腕を切り落としました。
その刀は源氏に伝わる名刀、髭切。
またの名を、鬼切安綱(おにきりやすつな)。
腕を失った鬼は愛宕山へと逃げ去り、
綱は北野天満宮の回廊の屋根に着地しました。
切り落とした鬼の腕は
美しい女の肌の見る影もなく、
真っ黒な肌に、白い毛が
銀の針の如くびっしりと生えていました。
持ち帰った鬼の腕に、頼光はたいへん驚き
陰陽師・安倍晴明に見せると、
晴明はひとつ忠告をします。
「鬼が腕を取り戻しに来る。
七日間、物忌みをし、誰にも会わずに
仁王経を読むように。」
綱はその言う通りにしていましたが、
六日目の黄昏時。
綱の屋敷に、伯母が尋ねてきました。
明日まではどうしても会えないと言う綱に、
伯母はさめざめと泣き出します。
「幼い貴方を夜も寝ずに育ててきたのに、
あんまりです。」
綱は仕方なく、中に入れてやりました。
「なぜ物忌みをしているのか?」
と聞く伯母に事情を話すと、
今度はその鬼の腕を見てみたいと言い出しました。
「七日を過ぎれば見せられる」と説明するも、
伯母にせがまれ、綱はしぶしぶ鬼の腕を見せてやります。
すると伯母は突然、腕を奪い取り、
あの時の鬼の姿を露わにするや
屋根の下を蹴破り、
空へ消えてしまったのでした。
鬼の正体には諸説あり、
嫉妬の鬼「宇治の橋姫(はしひめ)」とする説や
最強の鬼・酒呑童子の側近である
「茨木童子」と同一であるとも言われます。
頼光四天王による酒呑童子討伐の場から
唯一逃げ延びた、一味の鬼。
その物語は歌舞伎や能、長唄など
様々な形で後世に伝えられています。
名刀・髭切を含む、呪われの刀剣6選については
こちらの記事をご覧ください。
大蛇を薙ぎ倒す猛将!碓井貞光
先見の明、頼光四天王の才を見出す力。
毒の大蛇を薙ぎ倒す
猛将、碓井貞光(うすいさだみつ)。
貞光は954年頃、現在の群馬県にあたる上野国、
あるいは相模国、現在の神奈川県に生まれました。
その出身は諸説あり、
第50代桓武天皇の子孫にあたる
名門の出とも言われれば、
山住みの一家のもと、幼くして両親を亡くし
天涯孤独となったとする伝承も残っています。
のちに武人として成長した貞光は
頼光のもと、四天王の一人として名を馳せました。
そんなある時、貞光が故郷とされる
碓氷峠(うすいとうげ)に帰郷すると、
里の人々に毒蛇退治の依頼を受けます。
なんでも、巨大な毒蛇が棲みついて
旅人を苦しめるようになったとのこと。
貞光は碓氷峠を登る際、峠に祀られた
弘法大師が自ら彫ったと伝わる十一面観音を
一心不乱に念じました。
やがて天地が大きな音を立て、
闇夜の嵐のようになったその中から
怒り狂う巨大な毒蛇が現れました。
毒蛇の吐き散らす炎を、
貞光は太刀で避けながら攻撃の機会を窺います。
すると、天の光が差し込んで
実体の十一面観音が現れ、貞光に鎌を授けたのです。
毒蛇の討伐は無事果たされ、
人々は鎌を祀って鎌明神と称えると
観音様が現れた場所に宮を建てました。
貞光もまた観音様の加護に感謝し、
立派な寺を建て、毒蛇の頭蓋骨を納めました。
さて、貞光は989年、
負傷した兵士を引き連れ帰る道中、
童のお告げを受け、群馬に湧き立つ
四万温泉を見つけたことでも有名です。
そして、彼の功績を語る上で欠かせない
大きな発見がもう一つ。
それはかつて旅の道中で見出した、若い才能。
彼こそ、後に頼光四天王の一角となる神童でした。
魔の物と渡り合う怪力!坂田金時
非凡の剛腕、頼光四天王の無邪気な怪童。
熊をも倒す豪傑、坂田金時。
幼名を、金太郎。
そう、彼は誰もが知る昔話の主人公です。
伝承によれば、
「強き人材を集めよ」という頼光の命により
旅をしていた碓井貞光、あるいは頼光自身が
静岡の足柄山(あしがらやま)で
その才能を発見したと言われています。
その昔、八重桐という名の山姥が
京都から静岡にやってきて
夢の中で赤い龍と結ばれ、
お腹に赤子を宿しました。
月が満ちた五月、大きな産声と共に
真っ赤な体の男の子が生まれると、
すくすくと育ち、やがて山々を駆け回るようになりました。
金太郎と名付けられたその子供は
特別力の強い子で、
たった11歳で大きなクマを打ち倒してしまうほどでした。
大好きな母に心配をかけまいと
日々獣と遊んでは畑仕事にも勤しみ、
身も心も逞しく育った、ある日のこと。
武将・源頼光の一行が京都へと帰る道中、
足柄峠を通りかかり、
家来の一人、碓井貞光が
当時21歳ほどの金太郎に出会いました。
一行はその強さをたいそう気に入り、
息子を立派な武将にしたいという母・八重桐の想いもあって
金太郎は頼光の一行について
生まれ育った山を出るのでした。
頼光の家来となった金太郎は坂田金時と改名し、
武士としての力を遺憾無く発揮すると
頼光四天王の一角に、瞬く間に名を連ねます。
そうして金時は全国を周り、
名だたる鬼や妖怪、悪しき盗賊たちを打ち倒したといいます。
恐れ知らずの武人!卜部季武
大胆不敵、頼光四天王の豪勇の士。
亡者を恐れぬ弓引きの名手、
卜部季武(うらべのすえたけ)。
またの名を坂上季猛(さかのうえのすえたけ)と呼ばれるのは、
征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫といわれるためです。
『今昔物語集』においては、
平季武(たいらのすえたけ)という名で登場し、
恐れ知らずの勇敢な姿が描かれています。
(今昔物語 巻27第43話 頼光郎等平季武値産女語 第四十三)
ある晩のこと、
侍所に集まる武人たちの噂話。
「近くの川の中程に、恐ろしい産女がいるらしい。
晩に川を渡ると、産女は子供を泣かせて、
『此れ抱け、抱け』と言うそうだ。」
産女とは、妊娠中に亡くなった
女性の霊、あるいは妖のことです。
「今から行って
川を渡って来られる奴はいるか?」
普段は勇敢な武士たち。
しかしこの時ばかりは、
みな押し黙ってしまいました。
そんな中、平季武という者が
名乗りを上げました。
「俺なら今すぐにだって行ってやる」
他の者たちは、いかな強い季武でも
渡れるはずがないだろうと、次々に賭けをしはじめます。
鎧に甲、弓、太刀、駿馬。
本当に渡れた時にはお前にくれてやる、と。
季武もまた、渡れなかったら
同様のものをくれてやろうと言い放つと
さっそく馬にまたがり、川へ向かいました。
九月下旬の暗い夜。
例の川についた季武は、
臆することなくザブザブと入り、
対岸に印の矢を一本突き立てました。
しばらくして引き返し
再び川を渡っていた、その時です。
『此れ抱け、抱け』
噂に聞いた川の中ほど、女の声とともに
赤子の泣き声が暗闇に響き渡りました。
あたりに漂う生臭い匂い。
産女に違いありません。
ところが、季武は一切怯むことなく
赤子を受け取り、岸へと向かい始めます。
すると女は、
「さぁ、その子を返せ」と言いながら
後を追いかけてきました。
しかし季武は
「もう返してやらん」と一言言うなり、
川から上がり、
そのまま館へと帰ってしまうのです。
館に着いた季武がふと目をやると
抱いた赤子は、木の葉に変わっていました。
さて、この様子を
物陰から密かに見ていた武人たちが
全ての出来事を皆に話すと、
あまりの恐ろしさに、
その場にいなかった者たちまで
その半数は凍りついてしまいました。
一同は約束通り、
自分が賭けた品々を差し出しますが、
季武は
「この程度のこと、出来ない奴がいるものか」
と言って、一切受け取らなかったといいます。
説話に伝わる、平安の世の最強の従臣・頼光四天王。
四人の武人はこののち、頼光と共に
鬼の頭領・酒呑童子の討伐という最大の武功を挙げました。
夜の街を闊歩する、極悪非道の大妖怪。
酒呑童子を含む、
日本史上最凶の大妖怪8選については
こちらの記事でご紹介していますので
ぜひご覧ください。