日本の歴史上 “最凶”と謳われる大妖怪8選!
古来、日本に伝わる妖怪伝説。
時に人にいたずらをし
また時には人に寄り添う彼らは、
神秘的でありながらも身近に感じる
なんとも不思議な存在です。
しかし、これが大妖怪ともなれば、話は別。
人々を恐怖に震えさせ、その命まで脅かす
恐ろしい化け物たちは、かつての日本で、
どのような悪さをしたのでしょう。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、日本史上最凶と謳われる大妖怪8選をご紹介します。
<鵺(ぬえ)>
猿の頭に、虎の手足、蛇の尾を持つ
奇怪な妖怪、鵺(ぬえ)。
鵺とは、本来トラツグミという名の
鳥の別名です。
トラツグミは夜になると
おぞましい鳴き声で鳴き出します。
森の中から聞こえる
まるで人間の悲鳴のようなその声に
人々は気味悪がり、その鳥を忌み嫌いました。
そんなトラツグミと同じ声で鳴く
妖怪・鵺が現れたのは、
はるか昔の平安時代のこと。
『平家物語』に記された記録によると、
第76代近衛天皇の時代。
天皇の御殿では、
夜毎に真っ暗な雲に覆われ、
不気味な声が鳴り響くという
恐ろしい現象が続いていました。
やがて天皇は、この怪奇現象が原因で
病床に伏してしまいます。
そこで、謎の暗雲の退治を任されたのは
弓の名手・源頼政でした。
頼政が暗雲に弓矢を放つと、
そこから化け物が落ちてきました。
化け物はその鳴き声から
“鵺”と名付けられ、鵺の死体は後日、
京都の鴨川に流されたと伝えられています。
<牛鬼(うしおに/ぎゅうき)>
水辺に住み着き、人に害をなす
凶暴な妖怪・牛鬼(うしおに)。
古くは、平安時代に執筆された
『枕草子』に登場します。
その姿は名前の通り、牛の頭に鬼の胴体。
あるいはその逆。
また江戸時代の絵巻物には、
牛の頭と蜘蛛の胴体を持った姿で
よく描かれています。
川の淵や滝、海などの水辺に現れては
人や家畜を襲う牛鬼の
その性格は、残忍そのもの。
地域により伝承は様々ですが、たとえば
濡女を連れて道ゆく人を騙し、
声をかけられ女の赤子を抱いた途端に
赤子が石のように重くなり
動けなくなった人を食い殺したり、
ただ対面しただけで人を病に至らしめたりと、散々暴れ回っていたようです。
しかし、極めて稀な例として
人の姿に化けて人間を助けたという伝承も残されています。
ただしその牛鬼は、人を救えば代償として
この世から消えるという牛鬼の掟により
血を流しながら消えてしまったとされています。
近畿や中国・四国地方を中心に伝わる妖怪伝説。
現在でも、牛鬼が現れたとされる場所には
“牛鬼淵(うしおにぶち)”や、“牛鬼滝”などの地名が残っています。
<大天狗>
強力な神通力を持つ
日本古来の妖怪・天狗。
山で起こる様々な怪奇の多くは、
天狗の仕業であると言われています。
天狗という言葉が初めて登場したのは『日本書紀』。
そこには妖怪としてではなく、
空を駆ける流星「天狗(アマツキツネ)」
としての天狗が描かれました。
そこから転じて、
人のやまびこに応える山の精霊や、
妖怪鴉天狗へと姿を変えていきます。
江戸時代に書かれた『天狗経』によれば、
日本に存在する天狗の数は
12万5千体以上にものぼるとされ、
中でも特に力を持った天狗は
“大天狗”と呼ばれるといいます。
また“日本八天狗(にほんはってんぐ)”
と呼ばれる八体の大天狗は、
非常に強力な神通力を持ち、
その強大さから、神に近い存在だとされています。
時には、国家を揺るがすような災いを起こしたり、また時には、人に武術や兵法を教えたり。
子供を攫ったかと思えば、
各地のいろいろな景色を見せて巡らせ
親の元に返したりと、
善悪の両面を持つ、不思議な大妖怪です。
<ヤマタノオロチ>
一つの胴体に
八つの頭、八本の尾を持った
巨大な怪物・ヤマタノオロチ。
はるか昔、出雲の国に住み
人々を恐怖に陥れたとされる異形の怪物です。
神代の時代から存在したとされ、
8世紀に成立した日本最古の歴史書
『古事記』や『日本書紀』には
既にその存在が描かれています。
人里を一瞬にして破壊してしまう
災害のような強力な力を持つ存在でしたが
英雄神スサノオノミコトによって討伐されました。
ヤマタノオロチの存在を示した痕跡は
出雲の地に今でも残っています。
かつての時代背景や風土から導き出される
ヤマタノオロチの正体については
こちらの記事ご紹介していますので、
気になる方はぜひチェックしてみてくださいね。
<九尾の狐>
中国から渡来した
傾国の妖狐・九尾の狐。
その名の通り、9本の尾を持ち、
数ある妖狐の中でも
最も強力な大妖怪だとされています。
伝承の歴史は古く、
紀元前3世紀〜紀元前2世紀にまで遡り、
当時成立した中国最古の地理書
『山海経(せんがいきょう)』にも登場します。
その後、インドや中国に現れた九尾の狐は
絶世の美女に化け、時の権力者に近づいては、国を滅亡に追い込んだといいます。
日本に渡ってきたのは、
8世紀ごろのこと。
日本の国を滅ぼそうと目論む九尾の狐は
同様に美女に化け、数百年の間を日本で過ごし、
平安時代になると “玉藻前(たまものまえ)”という名で鳥羽天皇に仕え、
寵愛を受けるようになります。
玉藻前が仕え始めてからというもの、
鳥羽天皇は病床に臥せってしまいます。
病の原因は医者にもわからず、最終的に
陰陽師・安倍泰成(あべのやすなり)が占ったところ、
玉藻前の妖力が原因であることが判明。
正体を暴かれた玉藻前は、
九尾の狐の姿となって
那須野の地、現在の栃木県那須郡へと逃げて行きました。
その後、那須野の地でも
悪事を働いていた九尾の狐に
朝廷は討伐軍を派遣し、
壮絶な戦いの末、ついに妖狐を打ち倒します。
ところが、九尾の狐の怨念は
自らの亡骸を巨大な石へと変化させ、
近寄るもの全ての命を奪う毒を吐き出すようになりました。
『殺生石(せっしょうせき)』と名付けられたこの石は、
後に玄翁和尚によって破壊されると、
石は3つに割れて飛び散り、ようやく災いが治ったといいます。
伝承の伝わる那須の湯本温泉付近には
有毒な火山ガスの吹き出す一帯に
殺生石と呼ばれる溶岩が存在します。
これは割れた殺生石のかけらの一つとされ
かつて、かの松尾芭蕉も
『おくのほそ道』にてこの地を訪れ、
殺生石の句を詠んでいます。
しかし、2022年3月、
殺生石が自ずと真っ二つに割れ、
急遽、九尾の狐を供養する慰霊祭が執り行われるなど話題になりました。
<酒呑童子 / 鬼>
京都の大江山一帯を根城とした
鬼の総領・酒呑童子。
その邪悪さと強さから
“日本の妖怪史上最強の鬼”と名高い、伝説の鬼。
強力な鬼を多く従えて都を荒らしまわり、
その背丈は6m以上、5本の角に
目は15もあったと伝えられています。
時は平安時代。
酒呑童子は仲間の鬼と共に
京の都に繰り出しては、
若い貴族の女性たちを攫ったり
食い殺したりと、悪行の限りを尽くしていました。
これを見かねた朝廷は、
武勇に優れる源頼光に酒呑童子の討伐を命じました。
頼光は、酒呑童子に
鬼の身体の自由を奪う毒が入った酒を
こっそりと飲ませ、
眠ってしまったところを狙って
その首を切り落としました。
酒呑童子は
首だけになっても暴れ回りましたが、
やがて力尽き、都にはようやく平和が戻ったといいます。
酒呑童子が鬼になる以前の姿については
いくつかの説が伝えられています。
絶世の美少年が、
女性たちから受け取った大量の恋文を
読まずに燃やしてしまったことで、
女性たちの怨念に取り込まれて鬼となったとする説。
また、生まれつき異常なほどの天才だったことで周囲に疎まれ、
6歳で母親に捨てられた挙句、
放浪するうち鬼となったという伝承もあります。
<土蜘蛛>
人を喰らう巨大な蜘蛛の妖怪・土蜘蛛。
ある時、
酒呑童子の討伐に成功した源頼光らが、
京都の蓮台野(れんだいの)に赴くと、
髑髏が空を飛んでいるのを見かけました。
不審に思った一行が後を追うと、
やがて一軒の古びた屋敷に辿り着きました。
その頃にはすっかり日が暮れ、
周囲は薄暗くなっていました。
すると突然、
辺りから様々な異形の妖怪が湧き出し、
頼光たちを苦しめました。
さらに夜明けになると、
妖しげな美女が現れ、目くらましを仕掛けてきましたが、
頼光はこれに切り掛かり、女はたちまち姿を消しました。
後に残された白い血痕を辿っていくと
山奥の洞穴にたどり着き、
洞窟の中に巨大な山蜘蛛を見つけます。
全ての怪奇は、
この蜘蛛の仕業だったのです。
頼光らは壮絶な戦いの末
蜘蛛の首を刎ねると、
その腹からは1990もの死人の首が飛び出します。
さらに脇腹からは
大量の子蜘蛛が飛び出し、
そこでもさらに数十個もの小さな髑髏が
見つかったのです。
恐ろしき妖怪・土蜘蛛。
その正体は、朝廷の勢力に従わず
中央集権に抗った各地の豪族たちだった
と言われています。
さて、なぜ彼らは禍々しい妖怪の姿で
描かれてしまったのでしょう?
<両面宿儺>
歴史書に残された記録は時として
各地の土地に残る伝承と
一致しないことがあります。
それは、一つの胴体に、二面の顔、
四本ずつの手足を持つ
異形の怪物・両面宿儺も然り。
古事記・日本書紀によると、
今から約1600年前、
邪悪な両面宿儺は飛騨の地に住みつき、
人々から略奪をしては楽しんでいたとされています。
しかし、当の伝説の舞台の地・飛騨には
伝記と全く異なる、英雄・両面宿儺の伝説が残っているのです。
異形の鬼神・両面宿儺の謎については、
こちらの記事で詳しくご紹介していますので、ぜひチェックしてみてくださいね!