天変地異の根源。災いを操る日本の妖怪5選!
古く日本に存在した、この世ならざる者たち。
神々などの聖なる者。
物の怪などの邪悪な者。
時に彼らは大自然から生み出され、
人間を助けもすれば、脅かすこともした。
日本の暮らしに付き纏う、災害の数々。
平穏な日々に突然襲う、その強大な力を前に
人々は恐ろしげな姿を見出す。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、天変地異の根源!
災いを操る日本の妖怪5選をご紹介します。
風を操る妖怪!鎌鼬
その妖、巻き起こる旋風に乗り
鎌のごとく鋭い爪で斬りつける。
風の怪異・鎌鼬(かまいたち)。
越後に伝わる伝承によれば、名前の由来を
大きな刀を構えると書く
「構え太刀」にあるともされます。
遭遇すると大きな鎌のような爪で切り付け、
痛みも出血もないままに、傷は時に骨まで達し
最悪の場合、死に至るという恐ろしい存在です。
主に北国に多く伝承が残っており、
足跡の形からイタチのような体であるとされますが
その姿は人の目に捉えることはできません。
また飛騨の地域においては
3人連れの悪なる神々として伝わり、
最初の神が人を転倒させ、次の神が斬りかかり、
最後の神が痛みと出血を抑える薬を塗っていくのだといいます。
各地にあらゆる逸話を残す鎌鼬は、
出会った際の対処法もまた様々に言われます。
たとえば、とある決まった呪文を唱えたり(高知県)、
傷を受けたら、古い暦を黒く蒸し焼きにして
薬代わりに付けたり(東北地方)、
「この治療に慣れた薬師に薬を貰え」
とする記述もあります。(『古今百物語評判』山岡元隣)
鎌鼬の正体には諸説あり、
冬の季語であること、
雪国に多く伝承が残ることから
あかぎれであるとする説や、
風によって巻き上げられた石や砂が当たって
できる傷のことではないかとも言われます。
いずれにしても、妖怪の中で
外傷を負わせてくるものは珍しく、
目に見えないその存在に人々は恐怖したのでした。
雷を操る妖怪!雷獣
その妖、雲に乗って空を駆け、
轟く雷を地に落とす。
雷の怪異・雷獣(らいじゅう)。
江戸時代以降、
各地で目撃情報や捕獲の記録が登場し、
しかし、その姿形は文献ごとにあいまいで
あらゆる伝承が残されています。
たとえばそれは、
前足2本に後ろ足4本、尻尾は3股に分かれた
牙の長い、茶色の狼のような姿。
(『玄同放言』曲亭馬琴)
または、足は4股、足には鱗、
背中は毛に覆われた、黒い狸のような姿。
(『閑田耕筆』伴蒿蹊 )
あるいは、越後で捕らえた雷獣は
猫のような姿をしていて、
艶のある灰色の毛は日光に当たり金色に輝き、
毛先は二股に分かれていたといいます。
(『越後名寄』丸山元純)
日頃は山で穏やかにしているとされる雷獣は
雷鳴轟く豪雨の日、その激しい気性を露わにします。
現在の静岡県にあたる駿河国の地誌
『駿国雑誌』に記された雷獣は、
イタチの類で水掻きを備え
大変長い尻尾を持つといい、
普段は柔らかくてよく昼寝をする猫のようであるが
所変わって雷雨の日には雲に乗って空を駆け、
誤って下に落ちた時には大地の木々を裂き、
人々を害したという記録があります。
雷の際に現れる、または天から落ちてくる
正体不明の幻獣。
これらを総じて雷獣とし、
その正体はハクビシンなどの動物ではないか
とも考察されますが、
依然真相はわかっていません。
一説には、
かつて天皇を襲う怪奇現象を起こし
源頼政によって討伐されたとされる妖怪・鵺が
雷獣だったのではないかとも言われています。
海を操る妖怪!海坊主
その妖、闇夜の海にて杓子をせがみ
船はもろとも呑まれゆく。
海の怪異・海坊主。
主に黒々とした
坊主頭の巨人の姿で伝わりますが、
ほかにも小柄なものや、群れで現れるもの、
中にはひれや鱗があったり、
美しい女に化けることもあるなど
あらゆる目撃談が記録されています。
遭遇すれば海に引きずり込まれたり、
船ごと沈められたり、
子供が拐われたりするといわれ、
沿岸に住む人々は特別恐れていました。
時に彼らは「杓子を貸せ」と言ってねだり、
与えずにいると船を沈められ、
反対に与えれば海水を注ぎこまれて
やはり沈められてしまうため、
水をすくえない底なしの杓子を与えることで
助かるとする伝承があります。
日本各地、様々な呼び名で記録される海坊主。
江戸時代の説話集『奇異雑談集』では、
“入道鰐”、“黒入道”と呼ばれる描写で登場します。
時は明応、室町時代後期。
伊勢の大湊にて、
とある船の船頭は困っていました。
乗船を望む善珍という名の男が、
彼の妻を共に船に乗せたがっています。
しかし、その日の乗客のうち、
彼女は唯一の女性。
航海の際、
乗客のうち女性を一人で乗せることは
「独り女房」という禁忌でした。
同船を断る船頭に、善珍は怒って
無理やり妻を乗せ、やむなく船は出航しました。
途中、海は激しく荒れ始めました。
このままでは乗客の35〜6人が
みな死んでしまいます。
独り女房の祟りだと皆が恐怖した、その時。
波間に、巨大な黒い入道の頭が浮かび上がったのです。
船頭曰く、入道鰐と呼ばれる
その恐ろしい化け物を前に
善珍の妻は腹を括り、
襷をかけ、念仏を唱えて、
夫が必死に引き留めるのを振り払って
海に飛び込みました。
入道鰐は彼女を咥え上げて見せ、
そうして嵐はようやく静まったのでした。
地震を操る妖怪!大鯰
その妖、古より地底に潜み
身震い一つで大地を揺るがす。
大地震の怪異・大鯰(おおなまず)。
古い時代より
地震との関連性を噂された大鯰は、
普段は地下深くに
その巨体を沈めているといいます。
地震の発生を抑えるため、
鯰の身動きを封じ込めるのは
二つの要石(かなめいし)です。
一方は、常陸国、現在の茨城県鹿嶋市にある
鹿島神宮の境内東方に、凹型の石が。
もう一方は、下総国、現在の千葉県香取市にある
香取神宮の境内西方に凸型の石が祀られ、
それぞれ鯰の頭と尻尾を
杭のようにして押さえつけているのです。
要石はその見た目こそ小さいですが、
地中に隠れた大部分はとても大きく
引き抜くことはできないと伝わります。
かつて徳川光圀、
広く水戸黄門の呼び名で知られる水戸藩主は
この要石を掘り起こそうと、7日7晩穴を掘らせました。
しかし翌朝、
穴は一夜にして元通りになってしまって
結局石の根元を見ることは叶わなかったと言い、
この謎は、鹿島七不思議の一つに数えられています。
安政2年、1855年の江戸の町を襲った
「安政の大地震」。
その後、大鯰を描いた鯰絵が大普及した当時、
地震とは恐ろしいものでありながら、
一方では、世の中を整えるものである
とも信じられました。
「貧福を ひつかきまぜて 鯰らが
世を太平の 建まへぞする」
(地震鯰絵『平の建前』より)
それはたとえば、貧富の差を無くしたり
悪い金の儲け方をする
悪党たちを懲らしめたり
街の復興活動により
景気が回復するといった面を言い、
それゆえ、大鯰は
時に善良な神としても崇められていたのです。
天変地異を操る妖怪!大嶽丸
その妖、激しい豪雨に雷鳴、暴風、
火の雨降らせる鬼神魔王。
鬼の怪異・大嶽丸(おおたけまる)。
室町時代に成立した
御伽草子『田村の草子』には、
平安時代の征夷大将軍・
坂上田村麻呂の活躍を伝える物語と共に
大嶽丸との対決の様子が描かれています。
かつて武将・田村丸は、
伊勢国の鈴鹿山で悪さをする
鬼神・大嶽丸の討伐を命ぜられました。
大軍を引き連れ山へと向かうと、
大嶽丸は神通力で黒雲を呼び寄せ、
雷に暴風、火の雨を降らしたので
近づくこともできませんでした。
ある晩、田村丸は夢の中で
老人にお告げを受けます。
「大嶽丸を討ちたくば、
天女・鈴鹿御前を尋ねるべし。」
そうして鈴鹿山で天下った
天女・鈴鹿御前に出会うと、
田村丸は心奪われ、二人は婚姻を結びました。
鈴鹿御前は、鬼討ちの協力を申し出ました。
「大嶽丸が阿修羅王より
授かったという3本の名刀。
大通連(だいとうれん)、
小通蓮(しょうとうれん)、
顕明蓮(けんみょうれん)。
これら“三明の剣”がある限り、
私たちは傷一つつけることすら
叶わないでしょう。
きっと私が奪ってみせます。」
その日の晩、美男に化けた大嶽丸が
鈴鹿御前のもとに尋ねてきました。
鬼は麗しの天女に惚れ込み、
これまで何度も言い寄っていたのです。
鬼の贈った唄に、彼女もまた唄を詠んで返すと
鬼は初めて返事をしてもらえたと、
泣いて喜びました。
鈴鹿御前は言いました。
「田村丸という男から
文が届いて困っています。
あなたの守り刀がそばにあれば、
心強いのです。」
すると大嶽丸は喜んで、
うち1本の顕明蓮は天竺の鬼に預けているからと
今手元にある2本の刀を差し出しました。
次の晩、再び訪れた大嶽丸は
待ち構えていた田村丸を目にするや、
たちまち変化を解き
30mほどにもなる巨大な鬼の姿を露わにします。
降りかかる、300もの氷の如き剣や矛。
しかしそれらは一つも届きません。
田村丸には千手観音、
毘沙門天の守護がついていたのです。
怒れる鬼は数千の数に分身すると
田村丸の放った矢もまた分裂し、
すべての鬼の顔を射抜きました。
最後に投げた”そはやの剣”が
鬼の首を切り落とし、討伐は果たされたと
安心したのも束の間。
大嶽丸は黄泉の国で
天竺の鬼が預かる刀、顕明蓮にその魂を移し入れ、
現世に蘇ってしまうのです。
陸奥国にて
日本の国を支配しようと目論む、大嶽丸。
田村丸は再び立ち塞がり、
激戦の末、再び鬼の首を刎ねました。
鬼は首になってもなお
田村丸の兜に噛みつきましたが、
ついには絶命し、
首は平等院の“宇治の宝蔵”に
納められたといいます。
宇治の宝蔵には、
大嶽丸とともに日本三大悪妖怪と名高い
九尾の妖狐・玉藻前と
鬼の頭領・酒呑童子の亡骸もまた
収蔵されたと伝わります。
彼ら含む、
日本史上”最凶“と謳われる大妖怪8選については
こちらの記事でご紹介していますので
ぜひご覧ください。