古より囁かれる日本の禁域!日本各地に存在する異世界への入口5選
古く日本に噂される、
異世界へと通じる場所。
待ち構えるは、この世ならざる霊力か。
一歩足を踏み入れた時、
帰りの保障はどこにもない。
こんにちは。えむちゃんです。
今回は、古より囁かれる禁域!
日本各地に存在する異世界への入口5選をご紹介します。
八幡の藪知らず
千葉県八幡に残る、神隠しの禁足地。
“迷宮” 不知八幡森(しらずやわたのもり)、
通称、八幡の藪知らずは、
一度入れば最後、二度と戻れない。
奥行き・幅共に18m程度。
歩けば一辺二十歩ほどしかなく、
これでは迷いようがないだろうと思えるでしょう。
しかし、知られている限り、
現在と変わらぬ広さしかなかった
江戸時代においても、すでにこの場所は
危険区域として立ち入りを禁じられているのです。
「この薮に入った者には必ず祟りあり。
二度と出ては来られない」
当時に成立した多くの書物や言い伝えが
この恐ろしい現象を揃って警告しています。
一説には、
日本三大怨霊の一人である平将門の首を
六人の家来たちが藪の中で守り続け、
そのまま土人形となったとする伝承があります。
また、かの水戸黄門、すなわち徳川光圀が
藪へ入って神の怒りに触れ、
今回に限りと、なんとか命を許されて
以来、人の立ち入りを禁じるようになった
という話もあります。
不思議な娘が夜毎、
機織りの道具を借りに来ては
藪の中で音を立て、
返ってきた道具が血に塗れていたという
恐ろしい昔話も残されています。
あの狭い藪の中に、一体何があるのでしょう。
ヤマトタケルの屋敷があったとする説や、
毒ガスが出ている、或いは底なし沼があるなど
様々な憶測が言われますが、真相は不明です。
かつては木々が生い茂り、
中が見えなかったという八幡の藪知らず。
現在はほとんどが竹に置き換えられていますが
手入れの際にも決して中に入らないなど
禁制が徹底されています。
平将門ら日本の怨霊たちの
恐ろしい呪いについては、
こちらの記事をぜひご覧ください。
富士の人穴
霊峰・富士の噴火が生んだ
異世界へと通ずる洞窟、“富士の人穴”。
富士山の中心から西へ約12km、
全長約83m。
鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡』には
このような伝承が残っています。
1203年6月。
富士山麓へ狩りに出かけた源頼朝は
偶然、人穴を発見し、
家来の仁田四郎忠常に洞窟の探索を命じました。
忠常は4人の部下と共に、真っ暗な人穴を進みます。
洞窟の中はコウモリが飛び交い、
地面にはたくさんの蛇が這っていました。
さらに足元からは幾千人もの叫び声が聞こえ、
かと思えば、今度は誰かの啜り泣く声が聞こえます。
忠常たちは恐ろしく思いながらも、
奥へ奥へと歩いてゆくと、
突然、目の前に大きな河が現れました。
流れの非常に早いその河を
如何にして渡ろうかと考えていると、
河の向こうにふと光が見えました。
その光の中に不思議な人の姿が現れ、
そして気づけば、連れていた四人の家来たちが
みな死んでしまっていたのです。
忠常は命からがら逃げ出して、
一部始終を頼朝に報告しました。
もとより、人穴は、浅間大菩薩が住む
神聖な場所として古くから信仰され、
決して立ち入ってはいけないとされていた場所。
人穴で起きた出来事は様々な文献に記録され、
忠常はこの不思議な存在に
極楽と地獄を案内されたのだとする説もあります。
富士山麓には、大小合わせると
100以上もの洞窟が存在していると言われています。
人穴の他にも、
例えば鳴沢氷穴という洞窟には、
樹海から江ノ島まで繋がるとされる
“地獄穴”なるものもあり、
罪を犯した人間を海の底へと引き摺り込む
黒龍が祀られています。
天国、地獄。
あらゆる世界に通じる富士の洞窟。
付近へ行く際は、
神聖な場に入り込みすぎないよう・・・
黄泉比良坂
島根県、東出雲の地に構える
あの世とこの世を繋ぐ道、
黄泉比良坂(よもつひらさか)。
それは、日本最古の歴史書
『古事記』に記された
神代に伝わる悲劇の物語。
日本列島の島々を作り上げた
国産みの神・イザナギとイザナミは、
大変仲の良い夫婦でした。
あるとき、妻イザナミは
お腹に火の神カグツチを孕み、
出産の際、酷い火傷を負ったことで
命を落としてしまいます。
最愛の妻を失ったイザナギは深く悲しみ、
どうしても彼女に会いたいという一心で
あの世へ通づる長い坂道、黄泉比良坂を渡り、
深く深く黄泉の国へと下っていきました。
辿り着いた先は、真っ暗闇で何も見えません。
イザナギは、奥にいるであろうイザナミに
一緒に帰ろうと呼びかけました。
しかしイザナミは、黄泉の国の食べ物を口にしてしまっていたために
もう地上へは戻れないのだと答えます。
諦められないイザナギは
必死に説得しました。
やがて心動かされたイザナミは、こう言いました。
「黄泉の国の神に交渉してまいります。
その間、決して私の姿を覗かないでください。」
イザナギは固く約束しました。
ところが、待てど暮らせど
彼女は帰ってきません。
痺れを切らしたイザナギは、
とうとう手元に火を灯し
暗闇の中にいるイザナミの姿を見てしまうのです。
彼女の身体は腐敗してウジがわき、
あまりの恐ろしさに
イザナギは一目散に逃げ出しました。
約束を破られ、激怒したイザナミは
黄泉の国に住む鬼や怪物を放ち、
その後を追いかけます。
追手を振り払い、
なんとか逃げ切ったイザナギは
黄泉比良坂の入り口を巨大な千引の岩で塞ぎ、
イザナミを黄泉の国に残したまま
閉じ込めてしまいました。
「愛しいイザナギ。
これほど酷いことをするのなら、
私は、1日に1000の人を殺しましょう」
「愛しいイザナミ。
それならば、私は産屋を建てて
1日に1500の子を産ませよう」
こうして、愛し合った二人は永遠の別れを遂げ、
そして生と死の世界は、完全に分断されたのでした。
日本神話に伝わる悲劇。
しかし、『日本書紀』の異伝、
第十の一書によると、
菊理媛神(ククリヒメのカミ)の仲介によって
二人の仲が保たれたとする記述も残っています。
「私は生の国での役目を全うしました。
ご一緒にはいけません。」
妻の想いを受けとめ、
イザナギは納得してその場を離れるのです。
常世と現世の境があやふやだった
古代の日本では、神々に限らず、
時に異世界への境界を跨いでしまう者がいたようです。
次にご紹介するお話も、その一つ。
冥土通いの井戸(六道珍皇寺)
京都、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)に
物々しく佇むは、“地獄への入り口”、
冥土通いの井戸。
その昔、京都に置かれた平安京の東側に位置する
鳥辺野(とりべの)という地域は
大規模な遺体の葬送地となっていました。
遺体を埋葬せず、野晒しにして風化を待つ
風葬が一般的だった当時。
鳥辺野一帯は、死者の国として考えられていました。
そして、鳥辺野へ入る境界付近を
“常世”と“現世”、
すなわち、六道輪廻の死後の世界への入り口として、
人々は“六道の辻”と呼んだのです。
六道珍皇寺も、ちょうどこの境に位置します。
平安時代、嵯峨天皇に仕える官僚に
小野篁(おののたかむら)という男がいました。
篁は武芸に優れ、和歌や漢詩、書においても
右に出る者はいないほど、卓越した才能を持っていました。
そんな彼をとりまく不思議な噂。
昼は朝廷に働く、篁。
夜は地獄で、閻魔大王のもとに仕えていたというのです。
そして地獄へ行くために、
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の
冥土通いの井戸を使用していたと。
平安時代の説話集『江談抄(ごうだんしょう)』や『今昔物語集』、
鎌倉時代の仏教通史『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』など
複数の文書に記され、現代にも人々の関心を寄せています。
2011年には、140年ぶりに
六道珍皇寺の近隣、旧境内にあたる場所から
小野篁が冥界から帰る際に使ったとされる
“黄泉がえりの井戸”も偶然発見されました。
井戸の先は果たして、
今も地獄に通じているのでしょうか。
恐山
青森県下北半島、霊場・恐山。
そこは、平安の時代より
死者への想いが募る場所。
862年に開闢された屈指の霊場で、
日本三大霊場、三大霊山、
三大霊地などにその名を連ねます。
岩の裂け目から立ち上る煙。
充満する硫黄の匂い。
カラカラとまわる風車。
積み上げられた大量の小石。
美しい青の湖畔は
地獄の入り口、賽の河原に見立てられています。
幼くして亡くなった子供たちの魂が
親を泣かせた罪に問われ、天国へ行くために
賽の河原で小石を高く積んでは、完成の直前で
鬼に何度も崩されているのです。
可哀想な子供たちをやがて救うとされるのは
地獄の閻魔王の化身、地蔵菩薩。
ご本尊を地蔵菩薩とする恐山。
残された親たちは我が子の死後の安寧を願い、
石を積みに訪れるのです。
恐山の南西にある湖の奥には
大尽山(おおづくしやま)がそびえ、
そしてその先に、極楽浄土があると信じられています。
魂呼び。
黄昏時、山の向こうで貴方を待つ、
愛する人のその名を叫ぶ。
恐山は、あの世とこの世で、魂を繋ぐ場所。
1200年の長い歳月、山は人々の願いを
ただ静かに見守っています。
人がいつか冥土へゆく時。
ほとんどの魂は、
地獄に待つ十人の王に裁きを受け、
極楽行きか地獄行きかを決定されます。
閻魔王が地蔵菩薩であるように、
彼らはみな神仏の化身。
あなたもいつか対面する地獄の十王、
先にさらっておくのはいかがですか。
死者の罪を裁く!地獄の十王については
こちらの記事でご紹介していますので、
気になる方はぜひご覧ください。