明らかになる全貌!?タイタニック号沈没事故の真相!(後編)

「進行方向に巨大な氷山の存在を確認。
夜には衝突するだろう。船の針路を変更せよ。」

事故当日の朝、
方々から入る再三の無線。

警告は深夜、事故発生の40分前まで繰り返され、
しかしついに最後まで取りあわれることなく
タイタニック号は暗い海に沈みました。

あまりに不可解な状況です。
誰かが意図的に警告を無視したのでしょうか?

真実を知るためには
あらゆる“事情”を鑑みねばなりません。

こんにちは。えむちゃんです。

今回は、明らかになる全貌!
タイタニック号沈没事故の疑惑と真相
をご紹介します。

事故にまつわる6つの不審な点については、
中編の記事で詳しくご紹介しています。

先に見ていただくことで
この動画の内容理解が深まりますので、
こちらの記事をぜひご覧ください。

スポンサーリンク

タイタニック号にまつわる更なる調査

事前に知っていた氷山の存在

沈没事故当日のタイタニック号。

通信室では、
前日に発生した無線機の故障によって
多くの乗客たちの電報発信作業に追われ、
通信士は多忙を極めていました。

その間にも次々と受信される、
針路上の氷山の警告。

しかしこの時期、
流氷の発生はよくあることでした。

通信室で受信した警告は
当時の時代、処理手順が定められておらず、

通信士は船長のスミス氏にこそ報告したものの
報告義務のない他の船員たちへの共有はしませんでした。

忙しない通信室、無線はその後も見逃され、

そして、事故40分前に受けた最後の警告も
雑音に埋もれ拾われないまま、

船は氷山の方向へ
真っ直ぐ進んでいったと考えられます。

大ベテランだった船長

では、なぜスミス船長は
針路上の氷山の存在を知っていながら
事故を回避できなかったのでしょうか?

実は、彼は氷山の知らせを受けた時、
航路を通常より18km南寄りに変更していました。

これは紛れもなく、
衝突の回避が目的だったことでしょう。

しかし一方で、減速すべき船の速度を
落とすことはしませんでした。

スミス船長はその道40年以上の大ベテラン。
その危険性は重々承知のはずでした。

一説には、大西洋横断の最速記録を更新し
名誉あるブルーリボン賞を取って
処女航海を華々しく飾るためだったと言われますが、

優雅で上質な船旅というのをコンセプトにした
タイタニック号は、もとより
速さという面での性能を持ち合わせていないため
可能性は低いとみられています。

では、なぜ減速も迂回もせず
わざわざリスクを取って突き進んだのか?

一つの要因として考えられるのは
燃料、石炭の問題です。

炭鉱労働者による
ストライキが発生していた当時、

タイタニック号は
航海可能な最低限の量の石炭しか
集めることができなかったといいます。

迂回できるほどの余裕はなく、
一度でも船を止めてしまえば
再稼働できない可能性もあります。

その日は、波の小さな穏やかな夜でした。

世界最大の豪華客船タイタニック号の初航海。

「失敗させてはならない」という想いも
あったのかもしれません。

海が安定している間に船のスピードを上げて
氷山地帯を突破する。

こうした判断があったとすれば
無線の謎も、幾らか辻褄が合うでしょう。

装備の不備

船の見張り台に必要不可欠な双眼鏡が
事故当日に限って紛失していた原因については、
後の調べで判明しています。

サウサンプトン港からの出航直前、
人事異動があり、双眼鏡の所在の
引き継ぎがなされていなかったのです。

もし双眼鏡がありさえすれば、
事故は防げたのでしょうか?

氷山を早期に発見できた可能性もありますが、

その日は月明かりがなく、辺りは真っ暗で
海には靄がかかっていたため、

双眼鏡があっても
あまり意味をなさなかったのではないか、

という意見もあります。

必要品の不備については、
救命ボートにも言えることでしょう。

船に搭載されたボートは、
乗客の半分の約1000人分しか用意がありませんでした。

ただし、これは当時の基準では
違法ではありません。

なぜならボートとはあくまで
近くの救助船まで移動するための
一時的な乗り物であったためです。

巨大な客船がものの数時間で沈没するなどとは、
その時代、誰も予想していませんでした。

オリンピック号の存在

さて、ここからは
巷で囁かれる噂の検証をしましょう。

タイタニック号“すり替え説“。

これは中編でご紹介の通り、
沈没したタイタニック号の正体が
事故により欠損した瓜二つの姉妹船
オリンピック号だったとする仮説です。

一般人であれば見間違えてしまうほど
よく似ていたとされますが、
それでもよく見比べれば異なる特徴がありました。

オリンピック号より
後に製造されたタイタニック号は、

当初全く同じ設計で作られる予定でしたが、

オリンピック号の改善点の指摘を受け、
内観・外観ともに多少変更が加えられたのです。

なかでも大きく変更されたのは、
船の上層部に広がる一等客船専用のAデッキ、
プロムナードデッキでした。

海の景色が直接楽しめるよう
ベランダ状の吹きさらしになっていたオリンピック号。

しかし、風や水飛沫に弱いため、
タイタニック号では船首から
中央の前半部分にかけ、ガラス窓を設置し
サンルーム状の半室内に変更しました。

また、Aデッキの下層、Bデッキについても、

海に面したほぼ全面が
海の見えるプロムナードデッキであったところを

船の後方部分を除いて廃止され、
かわりに一等客室が増設されることとなりました。

以上の改良から、タイタニック号は前作よりも
スッキリした外観に仕上がっていたのです。

そもそも、オリンピック号とタイタニック号を
すり替えるための問題点は
見た目だけではありませんでした。

オリンピック号が事故により損壊し、
ドックへと送られたのが1912年2月下旬。

対して、当時製造中のタイタニック号が
完成したのは、同年3月31日。

2隻をすり替えるには、その間わずか1ヶ月程度で
改良点を踏まえた全ての工事を
完了させる必要があるのです。

タイタニック号にかけられた莫大な保険金

では、タイタニック号沈没事故が
莫大な保険金を目当てに工作された
事件であったとする説はどうでしょう。

事故後、イギリスのロイズによって支払われた
100万ポンドという異例の額の保険金。

疑惑の目は、
支払い先のタイタニック号を所有する
大手海運企業ホワイト・スター・ライン社に向けられました。

しかし、保険金の多くは、被害者と遺族への
巨額の賠償金に使われます。

会社のために使える額は、
果たしてどれほどになるでしょう。

加えて、
安全性を大々的に謳ったタイタニック号の
裏切るような結果に信用を失くし、

ホワイト・スター・ライン社の評判は
地に落ちました。

船に乗っていた社長のイズメイ氏は
事故から生還し帰国すると、

国中から非難を浴びて同社を辞任し
その他の役職も失って、余儀なく隠遁生活となりました。

1500人の命と、自身の地位と名誉と、
そして生涯に渡る尊厳を犠牲に、
保険金を得るメリットなどあるのでしょうか?

これらのことから、
タイタニック号“すり替え説”は
憶測の域を出ないと言われています。

乗船をキャンセルした人々

ところで、最後に残る一つの奇妙な謎。

出港の直前、一斉に乗船をキャンセルした
関係者含む乗客たちについては、
どう説明がつくのでしょう?

タイタニック号の乗員乗客およそ2200人に対し、
直前にキャンセルした人々は全体の2%ほどにあたる、50人余り。

決して不自然な数字ではありませんが、

疑わしいのは、その中に
ホワイト・スター・ライン社の親会社社長にして
モルガン財閥の創始者、モルガン氏と
その友人らが含まれていたという点。

彼がキャンセルの理由を偽ったことも含めて、
特別理由が付けられないのです。

彼は沈没事故の翌年、75歳で亡くなりました。

持ち合わせた強運か?
はたまた、事前に何かを知ったのか?

真相は誰にもわかりません。

スポンサーリンク

禁止されたタイタニック号の探査

悲惨な事故から70年以上が経った
1985年9月。

アメリカとフランスの調査チームが
海底3,650mに沈むタイタニック号の残骸を発見しました。

その後、船の一部の引き上げも行われましたが、
船内の食器類が豪華客船にふさわしくない安物だったなど、
謎は後を立ちません。

2004年6月には、遠隔操作探査機を用いた
大規模な調査プロジェクトが開始されるも、

劣化や違法な遺品回収行為を防ぐ
「タイタニック国際保護条約」により調査は中断され、

タイタニック号は保存対象に指定されました。

現在も腐敗の進むタイタニック号。

あと数十年すれば崩壊し、全ての謎とともに
消えてしまうと言われています。

しかし、もし、事故の裏側で
今なお何かしらの力が働いているのだとしたら・・・?

真相は永遠に解明されることのないまま、
暗い海の底に溶けてしまうのでしょうか。

海上で発生した不可解な事故は
タイタニック号のほかにも・・・

魔の海域で起きた未解決事件!
バミューダトライアングルの真実
については、
こちらの記事でご紹介していますので
気になる方はぜひチェックしてみてくださいね!

この記事をSNSでシェア!
スポンサーリンク

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

error: Content is protected !!