開運招福!福をもたらす日本の七福神!

なかきよの とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな

(永き世の 遠の眠りの みな目覚め
波乗り船の 音の良きかな)

―宝船の回文歌―

金銀、宝石、珊瑚を積んだ宝船の上。

乗り込む福の神の七柱)は、
富と幸を授けし”七福神“。

仏教経典『仁王経』に由来する
「七難即滅、七福即生」。

”七つの難が去り七つの福が生まれる”

その言葉を発端に
七福神信仰が始まったのは、今は昔の室町時代。

そのご利益は様々に。

すべて巡れば最大に。

幸福の象徴は、遠い海からやってくる。

こんにちは。えむちゃんです。

今回は、開運招福!福をもたらす日本の七福神!
をご紹介します。

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恵比寿神

七福神の一柱は
商売繁盛・漁業成就・招福の神、
恵比寿神

釣竿を担ぎ、鯛を抱え、
狩衣(かりぎぬ)をまとう姿。

恵比寿神は、古くから大漁を呼ぶ福の神や
航海の守り神として親しまれてきました。

七福神の中で唯一、日本古来の神でありながら

『古事記』や『日本書紀』など最古の書物に
恵比寿という名は登場せず、

あらゆる神が同一ではないかと考えられています。

一説には、

国生みの神・イザナギとイザナミの間に生まれた最初の子、
蛭子命(ひるこのみこと)であるとされ、

古事記によると、
生まれた蛭子は何かしらが「良くあらず」とあり、

船に乗せられ、
海に捨てられてしまう不遇の子として書かれています。

日本書紀には、
生まれた順番など異なる部分もあるものの
足が不自由だったために流されたという記述があり、

いずれにしてもイザナギたちの子供として
数えられませんでした。

蛭子は漂着した先々で、
海の神として祀られることとなります。

やがて室町時代になると、海からやってくる様が
海の神・恵比寿と重なり同一視され、

また、鯨などの大きな海の生物や、海からの漂着物、
時に出遭う水死体も“えびす”と呼んで信仰しました。

蛭子の他にも、国づくりの神・大国主命の子である
事代主神(ことしろぬしのかみ)が
釣り好きであることから、恵比寿神の原型とする説や、

大国主命の国づくりに協力した
少彦名神(すくなびこなのかみ)と
同一であるとも言われています。

恵比寿神の釣竿は、「魚を獲りすぎない、
不当な利益をださない」という誠実な様を表し、

これは孔子の『論語』にある
釣りすれども綱せず」の心に通じます。

現存する記録の中で
「えびす神」を最初に祀ったと伝わる兵庫県・西宮神社は、
全国におよそ3,500社あるえびす神社の総本社。

開門から本殿までの境内を走って競う
福男選びは、新年の風物詩です。

大黒天

七福神の一柱は
五穀豊穣・子孫繁栄・出世開運の神、
大黒天

ともに祀られることの多い恵比寿神は「漁業の神」、
対して大黒天は「農業の神」。

二俵の米俵の上に乗り、柔和な表情を浮かべ、
右手には打出小槌、左肩には大きな袋を背負った姿。

やわらかな表情は、しかし当初は
今に見る影もありませんでした。

平安時代、インドから中国を経て伝来した大黒天は
元々はマハーカーラ(摩訶迦羅)と呼ばれる
戦いを司る神でした。

“マハー(摩訶)”とは、サンスクリット語で
大きいこと・優れていること”、

“カーラ(迦羅)”は、“黒い”を意味することから
日本においては“大黒天”と呼ばれます。

仏・法・僧を表す”三宝”を守護し、

ヒンドゥー教においては
破壊神シヴァが世界を灰にする時の姿であるともされ、

その性質をそのまま受け継いだ当時の大黒天は
恐ろしい形相をしていました。

ところが、鎌倉時代になると
信仰が広まるうちに豊穣神の側面が残り、
徐々に親しみやすい姿へと変化していきます。

そして室町時代に入る頃には
国づくりの神・大国主命と融合し、
福の神として全国に広まりました。

大黒天が大きな袋を背負っているのは、

かつて大国主命が、
毛皮を剥がれて泣いていた因幡の白兎を助けた際、
兄弟の八十神(やそがみ)の荷物を入れた大きな袋を持っていたため。

大黒天の使いがネズミとされるのは、
ネズミが大国主命の命を助けたため。

大黒天の被る頭巾は「上を見ない」謙虚な心を、

足元の二俵の米俵は
「二俵で満足する」欲張らない気持ちを、

打出小槌は、
穀物を生み出す大地を表しています。

毘沙門天

七福神の一柱は
降魔厄除・家内安全・武道成就の神、
毘沙門天

右手に槍、左手に宝塔、甲冑に身を包み、
怒りの表情を浮かべて2体の邪鬼を踏みつける。

毘沙門天を信仰するものには
十種の福が与えられる。

元はインドのヒンドゥー教における
財宝の神クベーラであるとされ、

サンスクリット語で
「ヴァイシュラヴァナ」と呼ばれていたのが

インドから中国に伝わる中で
「毘沙門天」となっていったと言われます。

日本で広まり始めたのは、平安時代。

京都の鞍馬寺が
毘沙門天信仰の始まりとされています。

その頃には、甲冑をまとった武将の姿となり、
戦いの神として信じられるようになりました。

毘沙門天は、別名を「多聞天」といいます。

それは仏教における四天王の最強の一柱、
七難を避け、七福を与える北方の守護神。

悪霊を退け、善行を積む人々に福や財宝を授ける神として
民衆の間で広まり、やがて七福神となりました。

弁才天

七福神の一柱は
学業成就・技芸上達・財運上昇の神、
弁才天

琵琶を弾く美しい天女は、
宝船に乗る唯一の女神。

弁才天は、元はインドで信仰されていた
サラスヴァティー」と呼ばれる
知恵と芸術の女神でした。

聖なる川「サラスヴァティー川」の化身であり、
水や音楽、言葉など、流れる全てのものを司るとされます。

日本での弁才天信仰は、
奈良時代には始まっていたと考えられ、

平安時代には、琵琶や笛など楽器の上達を願う
貴族たちの間で広く信じられました。

また、水の神の性格から
川や泉などの水辺に祀られ、

日本各地の水神とも融合していくこととなります。

農業に欠かせない、水の恵みをもたらす神。

龍神と通じて、雨を降らせる天女。

江ノ島に古く伝わる「五頭龍伝説」に登場する天女も、
弁才天であると言われています。

凶悪な五頭龍と、麗しの天女の物語は
こちらの記事でご紹介していますので
気になる方はぜひご覧ください。

布袋尊

七福神の一柱は
千客万来・家庭円満・商売繁盛の神、
布袋尊

円満な人格、広い度量。

肩に「堪忍袋」を背負い、
未来を予知して富をもたらす。

布袋尊は、七福神の中で唯一
実在が確認されている人物です。

7世紀から10世紀の後梁の時代にあたる中国。

明州、現在の浙江省にあたる場所に
伝説的な僧侶がいました。

名を、釈契此(しゃくかいし)

常に袋を背負っていたことから
“布袋”とも呼ばれていました。

小柄で太鼓腹、楽天的な性格。

物乞いでもらった食料や生活の道具を袋に詰め込み、
放浪する日々。

一見風変わりではありましたが、
布袋と話したものは皆、満ち足りたような
不思議な気持ちになったといいます。

さらに彼は予知能力を持ち、
彼の占いは必ず当たると評判でした。

亡くなる直前、布袋はこう語ったと言います。

「彌勒真彌勒 分身千百億
時時示時人 時人自不識

弥勒は真の弥勒にして 分身千百億なり
時時に時人(時の人)に示すも 時人は自ら識(し)らず」

『景徳伝灯録』

ゆえに、その正体は
弥勒菩薩の化身であると言われています。

彼の死後も、埋葬されたはずの布袋の姿が
別の場所で確認されたりと、不思議な伝説が多く残る布袋。

日本においては福の神として、室町時代後期に
七福神に組み入れられました。

福禄寿

七福神の一柱は
延命長寿・立身出世・招徳人望の神、
福禄寿

大きな耳たぶ、背は低く、長い頭に長い髭。

人間の寿命を記した”司命の巻物”を杖にくくりつけ、
長寿の象徴・鶴や亀を従える。

福禄寿のその名は、中国の道教において
揃えば最良の幸福が得られるという「福・禄・寿」、
すなわち「子宝・財産・健康長寿」に由来します。

また、福禄寿は『西遊記』など中国の伝説において
神や仙人として多く登場する
長寿と幸福の神、“南極老人”の化身であるともされ、

それは夜空に輝く赤い星、一般にカノープスと呼ばれる
明るい恒星「南極老人星(なんきょくろうじんせい)」が
神格化したものだと言われています。

俗説では、その星は戦乱時は見ることができず、
世の中が平和な時にだけ見える
めでたい星とされました。

さて、残る最後の七福神も、実は福禄寿と同様に
南極老人星の化身として伝えられているのです。

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寿老人

七福神の一柱は
延命長寿・諸病平癒・家庭円満の神、
寿老人

酒を好み、不死の霊薬を入れた瓢箪を運ぶ。

人の寿命を記した巻物を杖にぶら下げ、
手には不老長寿の桃を持ち、

自然との調和・長寿を象徴する鹿を従える。
(鹿=ロク=禄(財産))

寿老人と福禄寿は、
同体異名の神であるとされ、

水墨画の画題として日本に入ってきた際に
別の人格を持つ神として捉えられたことで、
それぞれが七福神に加ったと考えられています。

寿老人の連れ歩く鹿は長寿の神獣とされ、

一説に1000歳で蒼鹿(そうろく)に、
さらに500年で白鹿(はくろく)に、
さらに500年で玄鹿(げんろく)になると信じられました。

縁起の良い七福神にまつわるお話。

お楽しみいただけましたか?

さて、冒頭にご紹介した
宝船の回文歌。

回文とあるように、あの歌は
上から読んでも下から読んでも
同じ音になるように作られています。

よみ人しらずのこの名歌は
“お宝”と呼ばれる紙に刷られ、

枕の下に敷いて寝ると良い夢が見られるとされました。

これに似た方法で
邪気や悪夢から逃れることができるという、
もう一つのおまじないをご紹介しましょう。

それは、妖怪・獏(ばく)の名を記した絵を
枕の下に敷くというもの。

加えて、とある呪文を唱えると
獏が悪夢を喰ってくれるそうです。

幸福と富の妖!吉兆をもたらす妖怪6選の記事にて
詳しくご紹介していますので
気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね!

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